<セリカとポーターキャブ>
今年から中四国や兵庫県南西部で開催される旧車ミーティングを見学しに行くようになったが、自分の歴代愛車の中で旧車は乗用車一台と商用車二台のみ。旧車風レプリカ車も二台。3台の旧車については、写真を撮っていない。それは’90年代、自慢することが嫌だったため。
しかしそれは今となっては後悔の限りで、それ故、旧車ミーティングでかつてのマイカーと同車種を見つけると写真を撮ると共に、そのミニカーも購入している。
唯一のマイカー旧車の乗用車は、前も説明したように、昭和48年式のセリカ1600GT。小学生時から、初めて買う愛車はこのダルマ・セリカの1600GTと決めていた。
セリカの解説もその記事でしたと思うが、昭和45年10月に誕生したセリカの当時のキャッチコピーは「未来の国からやってきたセリカ」だった。
バンパーがボディと一体化したデザインは斬新で、ユーザー自らエンジンや内外装を選ぶフルチョイス・システムを採用した国内初のスペシャリティカーだった。エンジンはそれまで、高級スポーツカーやレーシングカーにしか搭載されてなかった4気筒DOHCを搭載、最高出力は115馬力だった。
この初期モデルはテールランプがリヤウインカーと共用だったため、「ワンテール」と通称された。当方のマイカーは昭和47年に排ガス規制により、一回目のマイナーチェンジをしたタイプで、テールランプとリヤウインカーは分かれていた。
添付写真は土佐市のUSAしおかぜ公園ミーティングで撮ったもの。後付けスポイラーやボディの色もマイカーと同じ。
ミニカーは今年初夏に発売されたイノモデルの1/64サイズ。オーバーフェンダーを付けており、1600GTVを彷彿させる。
トミカより小さいサイズ(トミカリミテッド・ヴィンテージを除く)ながらも、フェンダーミラー、ルームミラー、ワイパーを再現した本格的なもの。定価は3,000円少々。
ペーパードライバー時代を長年過ごした後、セリカを購入したのは’94年後期か’95年初頭だったと思うが、当時は昭和48年式のマツダ・ポーターキャブも所有していた。これも以前触れたと思うが、亡き父から引き継いだ360CC時代の軽トラ。
当時は農業研修を農業大学校(社会人研修コース)や町内の農家で受けていたこともあり、そのまま乗り継いだが、以前も説明したように、ブレーキはかなり力を入れないと効かないため、急ブレーキは不可だった。
ボンネットのあるポーターが誕生したのは昭和43年だが、一般的な軽トラのキャブオーバー型になったのはその翌年。マツダとしては異例の空冷2気筒エンジンだった。
昭和48年、マイナーチェンジをして水冷2気筒になった。ボディ・デザインは殆ど変わらなかったが、セリカ同様、ウインカーと共用だったテールランプの下半分がウインカーになった。添付の実車は前期型のワンテール。倉敷市の鷲羽山の駐車場でのミーティングで撮った。
ミニカーは農作業者等のフィギュア付きのトミカリミテッド・ヴィンテージ。流石に360CCを1/64サイズで再現すると非常に小さくなる。それでもヘッドライト周囲のナセルやテールランプ、ウインカー等、忠実に再現している。流石、老舗トミカのナセル技。但し、サスペンションは付いていない。型式、ボディの色もマイカーと同じ。
当時は車の知識があまりなかったため、ポーターを普通に時速80キロ位で走行していたら、やがてエンジンが焼き付いてしまった。が、修理屋で550CC時代のポーターを発見、即買い替えた。
ポーターキャブは昭和52年、軽自動車規格の変更を受けてマイナーチェンジを行った。エンジンは三菱の2気筒バルカンSを搭載。もう時速80キロ以上出してもエンジンは動じなかった。外観は大型化した以外には、ナセルの形状が丸味を帯びた角型に変わった。
ミニカーはミニカー付き雑誌「懐かしの商用車コレクション」シリーズのもの。1/43サイズで何から何まで忠実に再現しており、造形については文句のつけようがないが、タイヤがきつくてなかなか回らない。これは付録としてのミニカーや、新興のミニカーメーカーにはありがちなこと。こちらも型式やボディの色はマイカーと同じ。
が、農業をやめ、マイカーの商用車は軽トラから軽のハコバンに変え、やがてセリカも二束三文で売却するのだった。そして愛車は旧車から旧車風レプリカ車時代に突入する。
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