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日本一のパワースポット・三輪山の虚実(1)

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《撮影禁止の神聖地の写真複写を特別公開》

昨日(12/2)のテレビ番組「人志松本の○○な話」で、日本最古の神社である奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社とその神体山・三輪山が日本一のパワー・スポットとして紹介されました。



が、神社や宗教の知識が乏しい手相芸人の解説には誤解が多々あるため、その撮影禁止の神聖地について改めて解説しましょう。



尚、戦前、この地がひょんなことから調査自然、戦跡、ときどき龍馬-大神神社境内の衣掛杉 されたことがあり、その時写された写真も複写ですが貼り付けます。写りが悪い複写でも、公開されることは極めて希です。



番組では当該芸人がしたり顔でこの神社と山を紹介していましたが、これらは市販の観光ガイド書に掲載され、関西人の大半は知っていることですから、たいそうに話すようなことではありません。



まず、大神神社ですが、この社は拝殿のみで本殿がなく、本殿を背後の三輪山に充てているのが特徴。ただ、誤解してはならないことは、三輪山は決して「神そのもの」ではない、ということ。



三輪山中には少彦名神(すくなひこなのかみ)を奉る辺津磐座(へきついわくら)と、大己貴神(おおなむちのかみ)を奉る中津磐座、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を奉る奥津(おきつ)磐座を始め、巨石の立石等を据えた約30もの磐座がありますが、それらの箇所で神籬(ひもろぎ)を立て、祭壇を作り、神事を行います。



つまり三輪山は神が一時的に宿る場所に過ぎません。神社神自然、戦跡、ときどき龍馬-三輪山の辺津磐座 道が成立する前は全国どこでも同じだったのですが、神事の時だけ簡易祭壇を作り、終ると取り払う、ということを毎年繰り返していたのです。

但し、一時的に宿る場所自体、神聖なものであることは言うに及びません。



今日のような社殿が造営されるようになったのは、神社神道成立後です。

尚、辺津は近津と同義で奥津は遠津と同義です。つまり、基点から近い所、遠い所という意味です。



元々山中の磐座で原始信仰が行われていたのを、地元の豪族等が自らの一族の権威付けのために社殿を造営したのです。特に三輪氏は「三輪の山の神の子孫」と名乗りました。当然、大神神社は社格の高い延喜式内社です。



次回は大神神社の祭神、大物主大神が古事記と日本書紀に最初に登場するシーンを解説しましょう。


ps:この日曜日、才谷屋一族子孫宅に行く予定。



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