死霊の「水場」のある辺りは比丘尼谷、俗称「墓谷」と言います。その水場からの石段沿いには、見上げるほどの岩盤が続き、異様な光景ですが、ここから最上部の本堂までのこの岩盤には、弘法大師(異説では一遍上人)が八万四千躰もの磨崖仏を彫ったと言われています。
中には五輪塔を浮彫にした珍しいものもありますが、風化によって多くは不明瞭
になっています。これらを県指定史跡「弥谷寺信仰遺跡」と言います。
その遺跡の中で最も見応えのあるものが、解説板も設置されている、弥陀三尊です。三体の像が並ぶ形で彫られており、雨水による浸食を防ぐため、後世、三体それぞれの上部に馬蹄型のひさしが設置されました。
この地方には磨崖仏は他にもあり、寺から1キロ少々東にある牛額寺境内には、もっとはっきりした仏群が彫り込まれています。因みに牛額寺ゆかりの幕末の勤王僧、月照は西郷隆盛と共に鹿児島の錦江湾に入水し、生涯を閉じています。隆盛は救出され、月照の分まで勤王活動を行うことになります。
弥陀三尊周囲には多くの石仏や五輪塔が、まるで賽の河原の如く、荒涼として佇んでいますが、辺りの岩盤を見渡すと、四角い窪みが無数に開いているのが分かります。これこそ、死者の遺髪を納めていた通称「納骨穴」なのです。
この風習はこの地ではとうに行われなくなって久しく、各穴も風化して浅くなっ
ているのですが、昭和期の文献によると、三豊市詫間町の庄内半島ではまだ続いている旨記されています。
納骨穴は本堂に至るまでの間、岩盤の上から下まであらゆる箇所に彫られており、本堂横の穴群、一つ一つには一円玉が供えられ、それが鈍い光を放っています。この比丘尼谷には、霊感のある方は近寄らない方が無難でしょう。
本堂は無人で、反対側の石段を下ると、水場まで一巡できるようになっています。
ミステリティックなことしか興味がない方は、ここから引き返せばいいのですが、城跡にも興味がある方は、護摩堂前(標高200m)から弥谷越(標高290m弱)への峠道を歩き、天霧城跡へ行ってみてください。
休日にはよくハイカーが歩いていますが、弥谷越から先に急登箇所(「犬返し」)があります。最高所(382m)の本丸跡までには物見台跡郭等があり、看板も設置されています。
本丸跡で皆、ザックを下ろし、そこを
終着点としていますが、城跡の一番の見所は、そこから北東に下って行った所にある、幅5m、深さ3mの堀切。内壁は切石で石垣状になっています。
そして最も眺望が優れているのは、そこから更に北東に進んだ360.4m三角点のある付近の広場。やはり展望のいい所でザックを下ろしたいもの。
寺から弥谷越、弥谷越から本丸跡、本丸跡から三角点、いずれもコースタイムは15分ほど。
尚、私は帰路、初心者のハイカーでも歩ける道を最後まで辿る気にはなれず、登山道の途中から西下の鉄塔道へ下りて瀬戸内海の展望を楽しみ、更に弥谷越の西方の三叉路(地形図「仁尾」を参照)から南西に派生する尾根を下り、下方の遍路道に出て、石段口まで引き返しました。道(コース)は辿るものではなく、造るものである、というのが私の持論です。