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私の学芸員資格科目レポート(4)資料論

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≪私ならこう創る「軍事博物館」≫

今回は「博物館資料論」の科目修得試験レポート。ここでいう「資料」とは、博物館の展示資料や収蔵資料を指しますが、館で周辺の遺跡や城跡を紹介し、且つ、現地を整備している場合、その遺跡らも「野外展示資料」とみなすことができます。


レポートの課題は、博物館の二次資料を、一次資料と関連づけて具体的な資料を挙げ、その重要性を論ぜよ、というもの。

「一次資料」とは実物資料のことで、「二次資料」とはレプリカ、模造品、映像、写真、ジオラマ等々。広義では解説パネルも含まれます。


『戦争遺跡の二次資料の有効性』


[二次資料こそ展示の要]

博物館の中で、二次資料、中でも模型展示が必要不可欠で、その大きさが大きければ大きいほど、入館者に喜ばれる館種の博物館がある。その一つが軍事及び戦争遺跡関連博物館である。全長26mの戦艦大和の20分の1模型を「象徴展示」している呉市海事歴史科学館は、開館半年を待たずして、入館者100万人を突破した。これは開館当時公開された映画の影響があったとは言え、実物兵器である一次資料展示のほかに、大小各種多数の模型やレプリカ、ジオラマの展示が大きく影自然、戦跡、ときどき龍馬-海軍平生基地ジオラマ(阿多田交流館) 響しているものと思われる。


軍事博物館での展示資料を選ぶ際、「戦争」をどう捉えるのかによって内容が大きく変わってくる。全国の平和資料館や記念館(「登録博物館」ではない館が多いが)の中には、戦跡や戦争関連遺物に「負の遺産」というレッテルを貼り、館内展示資料や戦跡等の野外展示資料(戦跡を整備した場合)を平和学習目的にしか利用しないケースがある。これは展示者の意向が「偏見」として悪い意味で働くケースである。


[中立的に「戦争」を見る]

それに比べ、呉市海事歴史科学館は戦争や関連物を湾岸都市の歴史の一部としてフラットに見ているため、展示資料に歪んだ思想は見えない。「博物館展示論」科目の参考書では「展示者の意図・目的が介在してこそ展示である」としているが、その意図や目的に決して偏見があってはいけない。左思想でも右思想でもなく、戦争は飽くまで歴史の一つの事象である、という観点を忘れるべきではないだろう。


文化庁も同様にフラットに見ており、’95年に改正された「史跡名勝天然記念物指定基準」に於いて、戦跡や関連物を近代化遺跡の中の「政治」カテゴリーに「軍事に関する遺跡」として入れたのである。そして翌年から全国の都道府県教委を通じて全国的調査を開始し、「戦争遺跡」という言葉が一般化してきたのである。


軍事博物館の場合、二次資料としては様々なものが考えられるが、兵器(航空機や艦艇を含む)やその動力機械の「構造展示資料」、各基地のジオラマが自然、戦跡、ときどき龍馬-須崎の第23突撃隊司令本部跡 代表的なものとなるだろう。兵器については、鉄砲や弾薬は別として、航空機や艦艇等の実物は、海底を探索しない限り、新たに一次資料を発見することは不可能であり、立体物であればレプリカや模型を製作するしかない。


レプリカを一つか二つほど製作し、それを「象徴展示」として、それ以外は模型にし、集合・比較展示する。陸海軍、それぞれ年代別、兵器別、目的別に製作することで体系的な展示を行うことができる。陸海軍だけでなく、それから続く自衛隊の兵器についても製作・展示すると、過去から現代までの防衛の歴史が分かる。


[予算と権限があれば即日製作可]

各基地について、私の地元県へは、米軍の資料から、昭和201030日に上陸する計画があったことが分かっており、これを大本営も察知し、県東部から西部まで、各所に回天や震洋の特攻基地を築いていた。


この特攻部隊は大きく二系統に分かれていたため、ジオラマにするなら、その内の一つの系統の部隊の司令本部基地と、博自然、戦跡、ときどき龍馬-23突第49震洋隊野見基地壕 物館に近い地にあった派遣隊基地を周辺地形ごと製作する。回天等の格納庫や修理場は全て横穴式壕であり、司令部の周辺に何十基もの壕が掘られていた。当然、壕以外に司令庁舎や兵舎その他の建物のほか、貯水槽、機銃陣地や回天や震洋艇、整備員や搭乗員その他基地要員等のミニチュア模型、当時と現代の基地跡の比較写真等とセット展示するのは言うまでもない。


この場合の一次資料は「現地の跡地」ということになるが、一系統の部隊の司令本部と全ての派遣隊基地跡は私が探訪しており、且つ、防衛省防衛研究所から基地図等の資料を取り寄せているため、各施設や壕跡を地形図や国土基本図に投影することができる。それを元にジオラマ製作ができる。進駐軍の指示によって描かれた基地図のコピーも二次資料の複製として関連展示できるだろう。


戦争遺跡は歴史研究の中でも、最も研究が遅れている分野である。これは’90年代初頭まで、文化庁が第二次大戦時の遺構を史跡として見做してなかったせいもあるが、それだけに地元住民ですら、戦跡や駐留していた部隊のことについて知る者は極めて少ない。


つまり、全国全ての都道府県共、郷土史の中に「空白の歴史」が存在するのである。その空白を埋める作業が博物館での各種二次資料の展示と普及活動である。空白をリアルに体感させようと思えば、偏見のないフラットな感性で、質感や当時の情景をも表現できる資料による展示法でなければならない。


できれば基地のジオラマにホログラフィー等の立体映像を拡大投影し、格納壕から回天や震洋艇が出撃する様子や、基地上空に現れた米軍機を機銃迎撃する様子も再現したい。

戦争体験者が年々減少している中、二次資料での展示は極めて意義深いものと言えるだろう。


ps:貼付写真の阿多田交流館は山口県平生町TEL0820-56-1100。平生基地に関する展示が主。入館料は無料だったと思います。

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