[凡例]
キ=古文献等に記録があるもの。
デ=伝承や口碑によるもの。
シ=伝記や郷土書、歴史関係の書物等に記述があるもの。
ア=現地に案内板や解説板、碑、道標等があるもの。
ブ=当ブログで過去に解説または簡易紹介したことがあるもの。
チ=拙著「長州・龍馬脱藩道」に収録してあるもの。
[山口県]
(6) 日原素平邸跡(下関市長府前八幡町3-37)
シ・ブ・チ
龍馬とお龍が伊藤邸内自然堂に住居を定める前の一時期滞在していた所。長府博物館に収蔵されている龍馬愛用の飯椀(亀山焼)を、お龍が素平邸内で割ったと、素平本人が後年語っている。
(7) 旧伊勢屋跡(下関市阿弥陀寺町7-8)
キ・ア・ブ・チ
ここで高杉晋作が龍馬に四境の役・小倉口の戦いへの参戦を要請した。宮本武蔵が巌流島の決闘時、宿泊した船宿で
もある。
当主・伊勢屋小四郎は源義経の側近・伊勢三郎の末裔。屋敷は明治期、亀山八幡宮東下に移転した。
(8) 大坂屋跡(下関市赤間町6-2)
キ・ブ・チ
慶応元年10月14日や慶応3年8月14日、9月20日に寄った記録がある。高杉晋作や桂小五郎、伊藤博文らとも一緒に立ち寄ったこともある下関最大の遊郭。今は下関有数のホテルが建っている。
(9) 奈良屋跡(下関市田中町6-1から赤間町2-12~13にかけて)
キ・ブ・チ
適義楼に龍馬を連れて行った小田村素太郎が龍馬に紹介した豪商・入江和作邸が奈良屋。
田中町の跡地の方には、近代、金子みすずが勤務していた商品館があり、現在、詩プレートが貼られている。
デ・ブ・チ
伝承あり。佐甲氏は大年寄。
(11)馬関越荷方役所跡(下関市南部町17-7~9)
デ・ア・ブ・チ
亀山社中との取引時の長州側窓口の一つ。ここの役人だった久保松太郎(松下村塾出身)に宛てた龍馬の手紙あり。
記憶にあるものは以上です。次回は四国の無名史跡大全を投稿予定。
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