大本営は昭和20年春、米軍が南九州へ上陸する前の陽動作戦として10月末、高知県の南の海岸に上陸するであろうと考え、海岸線の長い高知県に大量の陸海軍を投入したことはこれまで何度か述べた。
しかし兵力の差から上陸を食い止めるのは困難であることは軍も承知しており、四国防衛軍は「高知市の屋根」南嶺から浦戸湾を挟んだ東の大畑山・大森山系の稜線を絶対防衛ラインと定め、至る所に塹壕や横穴壕、蛸壺壕、砲台壕等を掘り、ゲリラ戦をする準備を進めていた。
南嶺の烏帽子山から宇津野山、そして大森山から蛸ノ森にかけての壕については過去、当ブログやヤマケイの投稿サイトで触れたが、昨日、南嶺西端の山・柏尾山の南の尾根で塹壕を発見した。
と、言っても元々戦跡を探索するため に柏尾山に登った訳ではない。足のリハビリを兼ね、地元地区に隣接する地区にある高知県最大の総合運動公園・県立春野総合運動公園内に整備された全長3.4kmのクロスカントリー・コースを一周する予定だったのである。だから地形図も持参していなかった。
が、そのクロカン・コースの北端が柏尾山の支尾根に乗っていた。立入禁止看板のある所である。私有地の立入を禁止するための看板であれば入山は遠慮しなければならないが、ただ単に斜面が急だから、という理由のための看板設置だったため、未踏のそのルートを登った。クロカン・コースだけでなく、未整備の尾根を登る方がリハビリにもなる。
しかし整地されたクロカン・コースと は異なり、足の接地が不安定となり、やはり足首に痛みが走る。が、一ヶ月も山に登れないストレスがあるため、しばらく尾根を登ることにした。
地形図を持参しておらず、現在地確認もできなかったから不正確ではあるが、カメラの画像データの時刻や尾根の形状からすると、標高200m地点(ではないかと思われる)に柏尾山城の堀切のようなコルがあり、その両側に塹壕があった。特に東側の塹壕は形状が明確で、長い主塹壕からいくつかの短い脇塹壕が分岐している。
西側の塹壕は一見すると踏み跡のように見えるが、人工的に掘ったと思える箇所もある。その箇所の先の右手には竪堀壕もあった。その内部の上下には横穴壕もあるようだが、どちらも入口は土砂で埋まっている。
コルに戻り、尾根の直登を再開すると送電鉄塔に出た。帰宅後地形図を確認すると、ここから柏尾山山頂までのコースは拙著で解説していた。
鉄塔巡視路は途中から尾根を逸れて北東にトラバースするようになるが、道が左カーブを描く右下方には竪穴が見えた。
下りて行ってみると、大きさは炭焼き窯程度だが、外側の山際斜面の竪の掘りこみが深い。普通の炭焼き窯ではこんなに掘らない。急傾斜地にあるというのも気にかかる。これがもし砲台壕であるとしたら、それらの疑問は全てクリアできる。砲弾を発射させるため、どうしても周囲の斜面を深く掘りこむ必要がある。緩傾斜よりも急傾斜の方が、山に登ろうとする敵には攻撃し易く、防御もし易い。
時間的なことと、足の怪我が完治していないことで、そこから稜線に上がることはしなかったが、他の尾根にも戦跡がある可能性は高い。
ところで、公園内のクロスカントリー・コースは、思っていたより、未舗装歩道や木道の区間が多い。道沿いには展望台や一定の大きさの自然林もある。登山界では近年、トレイルランニング(トレラン)熱が高まっているが、このクロカン・コースはトレランの練習コースとしても推奨できる。歩き足らなければ柏尾山に登ればいい。
クロカン・コースの周回と柏尾山の塹壕の探訪コースは→柏尾山塹壕とクロカンコース
来週になっても足が完治してないことは確実なため、坂本乙女関連の伝承地でも探訪しようと思っている。但し散逸している文献を探し出すのが一苦労。
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