2013年、愛媛県西予市全域が「四国西予ジオパーク」として「日本ジオパーク」に指定された。当時、その指定・登録を記念して開催された講演も聞きに行った。
以前も触れたと思うが、日本ジオパークと世界ジオパークの指定ジオパークに共通することは、「核」となる特異な地層を主体として、指定エリア内のあらゆるものを対外的にアピールできる点。
故に既存の観光地や史跡、伝統芸能、祭り等、地学とは関係のないものもジオパーク関連地に指定することで新たに脚光を浴び、注目されることになる。尤もジオ=大地なので、地学に限定されるものではない。
西予市は五つの自治体が合併した市であるため、エリアは広範囲に及ぶが、市を東西に貫く黒瀬川構造体(九州から関東まで総延長1,000km)を主軸にしており、大別すると「北部宇和海エリア」(三瓶町と明浜町)、「肱川上流エリア」(宇和町と野村町西部)、「黒瀬川エリア」(城川町)、「四国カルストエリア」(野村町東部)に分けられる。
この全エリアの中で西予ジオパークを象徴するものは、市の黒瀬川構造体の西端になる須崎(すざき)海岸にある、二つの巨大な凝灰岩チャート。地殻変動で西方から移動してきた地層がぶつかって垂直に屹立したもので、一つのチャートには「マンモス岩」という俗称が付けられている。
須崎海岸は元々、岬の上に立つ須崎観音が有名だったが、海岸自体が注目されるようになったのはジオパーク指定後。
ただ、残念なのは遊歩道が僅か300mしかないこと。恐らく、ミニ堤防を遊歩道に転用したものではないかと思われ、対向者とのすれ違いもできない狭い堤防上は手摺もない。但し、万が一用の浮き輪が三ヶ所に設置されている。
因みに高知県土佐市にも、同様に地殻変動により、垂直になったチャートがあるが、その規模は日本最大且つ、環太平洋地域最大。
私は明浜町随一の観光・宿泊複合施設、「あけはまシーサイドサンパーク」内の「民宿故郷」に滞在しており、そこから三瓶町の須崎へと向かったのだが、ルートは故郷東からジオパーク名所の「大早津石灰岩」背後に回り、先に権現山(464m・上の写真)山上の「宇和・明浜山岳公園」に寄った。
ここからの展望は、同じくジオパーク名所の一つで以前紹介したこともある(と思う)法華津峠(396m・コースガイド→愛媛屈指の絶景峠と幻の洞窟)からの景色に勝るとも劣らない。
西には三瓶から八幡浜市に到るリアス式海岸、その奥には日本最長の岬・佐田半島が遠望でき、内陸部に目を転じると鬼ヶ城山系を始めとした南予の山々も望まれる。
ここの公園もジオパーク指定後、知名度が上がったが、今でも現地へ到るまでの道路の分岐等には道路標識が一切出ていない。
この公園は山の尾根を走る県道344号沿いにあるが、そこからは一旦北に進んだ後、道路標識を見て、仁士方向に左折し、県道257号から国道378号に出て、須崎海岸へと向かった。
途中、福島(上と下の写真)を望む赤崎と二本松海水浴場(8枚目写真)に寄ったが、駐車場もなく、後者の砂浜は波に削り取られ、大半が消滅していた。
尚、このルートではなく、海岸を走る国道沿いにはジオパーク名所の大崎鼻公園等があるが、それらや福島展望公園(赤崎の上方の尾根)は2014年正月時に探訪済。
須崎海岸探訪後は、三瓶町中心部まで引き返し、県道26号を北上、和泉河内の川内橋手前の三差路を右に折り返し、ジオパーク名所の奇勝・螺岳(さざえがだけ)に向かった。
大昔の南海地震による津波がこの山(地形図での山頂の標高は300mだが、ジオパークパンフでは360mと表記)まで達し、山肌にサザエが沢山付着したことから山名が名付けられたという。
これは白鳳の大地震(684年)か、高知大学の教授が解明した二千年以上前に波高50m以上の津波を起こした南海大地震により、津波が朝立川を遡り、山裾まで達したということではないだろうか。
サザエに山容が似ているとも言われるこのチャートの山は、ケイビランやカノコユリの自生地でもあり、山頂直下まで車道が通じており、1分ほどで登頂できる。
山頂には役行者を祭る祠や風化した石塔、井上平太郎氏の頌徳碑、和泉西国観音霊場第一番石仏があり、岩山だけに展望も優れており(上の写真)、宇和海も遠望できる。
ミニ観音霊場はそこから東方の小社が祭られている山(上の写真)にかけての尾根上と北側斜面に設けられており(下の写真)、一巡することができる。
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