[坂本龍馬使用の布団、枕、携帯便器、番傘は見学可]
依然、ブログは休止中(名目上)ですが、今日は坂本龍馬の誕生日兼命日ですので、ブログ休止前の語句検索訪問について解説します。
休止する前、二回ほど「坂本龍馬 布団」によ
る検索訪問がありました。これは去年の4月17日に投稿した記事を検索したものと思われます。
その記事では龍馬が文久二年2月半ば過ぎから下旬頃、つまり脱藩する一ヶ月ほど前、潜伏していた徳島県美馬市坊僧の鎌村熊太(徳島藩筆頭家老・稲田氏家臣の「猪尻侍」)邸の外観や、龍馬が潜伏時に使用していた携帯便器の写真を貼付しました。
また、それ以降の記事では、龍馬が熊太邸に向う時、つるぎ町貞光の徳島藩士・長坂氏(先祖の長坂三郎左衛門は京都で長宗我部盛親公を捕縛)家臣、岡氏(郷鉄砲小頭)から借りた番傘の写真も公開したと思います。
龍馬が熊太邸に潜伏していた時使用していた布団と枕の写真は、当ブログで公開したかどうかは忘れましたが、先月、二回に亘って検索訪問があったことから、再度公開することにしました。
龍馬が熊太邸に出向くことになった経緯はこれ
まで何度も解説してきたことと思いますから、改めて解説はしません。
その時(文久元年10月から翌年2月末まで)の龍馬の行程を時系列で示すなら、以下の通りです。
田中良助邸→丸亀藩・矢野市之進道場→長州と大坂の往復→長州萩→大坂・土佐藩住吉陣営→京都→丸亀港→琴平・呑象楼→鎌村熊太邸→岡邸→再度、熊太邸→帰国。
熊太邸見学の申し込み先FAXは4月の記事にも記載しましたが、再度記載します。尚、現在の鎌村家当主は高校教師ですから、平日の日中は連絡が取れません。
FAX0883-63-2239
その時の龍馬の足取りの詳細は拙著「大回遊!四国龍馬街道280キロ」を参照のこと。
今日は高知市上町で龍馬の生誕祭等様々なイベントが開催されたのですが、最も喜ばしかったのは、龍馬の生まれたまち記念館の中庭にある龍馬の縁台像隣に、近藤長次郎の銅像が建立されたことのニュース。
それを記念して館では長次郎の子孫の方が復元した「長次郎饅頭」を、子孫の方自らが配布されていました。
龍馬関係以外の検索訪問では「松山海軍航空基地」、「安居森林軌道」等もありましたが、前者は来年、ブログを再開時、「嗚呼、徳島海軍航空隊・後編」を投稿した次の「大日本帝国の秘密基地」カテゴリー記事として投稿します。
後者は「鉄道廃線跡と鉄道関連物を巡る」カテゴリー記事として投稿予定。
ps:ブログ休止中はコメントを戴いても返答及び返信はできません。公益性のある調査等でどうしても知りたい事柄がある場合は別。営利企業への返答はしません。
メッセージ送信された場合はこの限りではありません。
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