[現代技術でも不可?超尖峰山頂に巨石文明遺構]
これまで先史の巨石文明遺跡、メンヒル(人為的立石)を何度か紹介してきたが、岡山県玉野市の光南台アルプスの一座、標高154mの立石山山頂に屹立する「番田の立石」こと、高さ10mの巨石「鉾立岩」は、有り得ない立地に存在する。
地形図(犬島)で見る限りでは、立石山は高知県香美市の尖峰「天王ノ森(平家ノ森)」(自著「土佐のマイナー山part2」収録)同様、顕著なピークとしては描かれていないが、現地に行くと周囲が切り立った尖峰となっており、狭小の山頂は鉾立岩によって占居せしめられている観がある。
流石にこれほど狭い山頂を覆うほどの巨大立岩であれば、表土がなくなって地表に出てきた根石とは考え難い。根石でないとすれば選択肢は限られる。そう、メンヒルである。
高さ10mとなれば重量は何十トンにもなるが、現代の技術をもってしても車道が通じていない尖峰の山頂に、これほど巨大な立石を設置することは不可能ではあるまいか。
この鉾立岩は海上からも遠望できることから、昔からシーマークとして利用されてきたが、麓の陸繋島、鉾島に神功皇后が三韓征伐の折、滞在した伝承があることから、その故事と関連づけられることもある。
そのこともあり、鉾立岩やその周囲にある巨石群は古来より信仰対象にされてきた。四国ではしまなみ海道・伯方島の最高峰、宝股山山上の石神(いわがみ)が比較的知られている。しかし宝股山のような石仏や祠等は一切、祭られていない。供物台は設置されているが、原始の巨石信仰のままである。
添付の記念写真では、鉾立岩の高さは10mもないのではないかと思うかも知れないが、当方は一段高くなった場所に立っている。反対側で撮ると実際の高さを感じられるかも知れないが、岩の北面(記念写真の方)と南面では、岩の表面が全く異なる。
南面は普通の自然の岩のようだが、北面は縦に切断した後、磨き上げたように真っ平になっているのである。まるで「日本ピラミッド」の鏡岩のように。前も説明したように、全国各地にある日本ピラミッドの鏡岩は、別の場所に設置した水晶等で光を反射させ、全国日本ピラミッド光(反射光)通信網を形成していた、という説もある。
海上からのシーマークとしての利用のためだけのメンヒルだったとしたら、真っ平の面は反対の南に向けるはずである。と、いうことはこの山の西方の山に別の鏡岩的岩があるのか。
立石山が日本ピラミッドの本殿山だとしたら、115m独立標高点峰が拝殿山なのか。それとも、立石山は日本ピラミッドとは別の役割を担った「施設」だったのか。
謎が謎を呼ぶ立石山だが、現在、鉾立岩の参拝道の入口一帯に害獣除けの柵が設置されているため、往路は遠回りのコースを登り、ついでに一等三角点峰の八丈岩山(280.9m)に寄った後、復路は立石山へと続く急勾配の尾根を下って周回した方が、山歩きとしても楽しむことができる。両山頂共、瀬戸内海の絶景が広がっている。

周回登山コースのガイドとマップは→番田の立石と一等三角点の八丈岩山
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