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Channel: 次世代に遺したい自然や史跡
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これが今月報道の海軍手結第二砲台だ

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10日ほど前、また香南市夜須町の大峰山斜面で海軍の砲台(手結第二砲台→当方が勝手に付けた仮称)自然、戦跡、ときどき龍馬-斜め上から砲床を が発見されたことが報道されました。これはアメブロガーのJJ氏が去年発見し、調査結果を纏めた上で報道機関に公開したもの。



JJ氏所属の平和資料館関係者は標高50mの尾根にある旨、述べていましたが、実際には30mほどの地点で、大峰山南西支尾根の北側斜面にあたります。

地域の主要道路から徒歩僅か10分程度。



が、当方は正確な場所は知らなかったので、大峰自然、戦跡、ときどき龍馬-砲台正面 山最南端の支尾根から、地形図に破線が記載され、L字型隧道・塹壕が残る尾根まで、斜面を高度40mから60m位までの範囲をローラー作戦探査したのです。上がったり下りたりしながら。



今年1月までの私なら、こんなとてつもない体力を要すことはできなかったのですが、尿管結石後の毎日の足踏み機器の成果で、脚力が20代の頃まで戻っていたのです。当時は毎月、各地のハーフ・マラソン大会に参加し、日帰り登山時はどんな山でも短靴で登っていました。



探査の中で多くの横穴は発見しましたが、な自然、戦跡、ときどき龍馬-弾薬壕の大きさと対比 かなか砲台跡に辿り着けず、もう諦めかけて目の前の尾根を下りて行っている際、遂に砲台の防護壁を発見したのです。

砲座跡の直径は約8mで、毎度のようにGHQの指示によって爆破され、セメント片が散乱しています。



砲座を半円形の高さ約4mの防護壁が取り囲み、奥には弾薬壕が掘られています。しかし壕の入口付近も爆破された模様で、横穴は土砂で埋まっています。

これが築造されたのは昭和20年の6月下旬から7月中旬頃。ここに12cm平射砲を据え付けて自然、戦跡、ときどき龍馬-弾薬壕内から外を いた模様。



ここへのアプローチは、まず以前、去年発見の手結砲台の記事で解説した手結の交差点を北に折れ、土佐くろしお鉄道の高架をくぐった先の十字路を東に折れます。

道路が未舗装に変わってほどなく、歩道を含めた四差路が現れるので、ここを北の野良道に折れます。



畑上の三叉路は東に取り、すぐ先のT字路も北に上がります。

右急カーブを過ぎた先の三叉路も北に折れ、砂利道自然、戦跡、ときどき龍馬-横穴(右)と竪穴(左上) 終点にある岡本家墓所の北東隅よりその先へ下ります。


下りた所が元々の戦前の道で、先に進むとすぐ砲台跡が現れます。

尚、以前紹介した砲台跡を訪れた方なら、横穴壕に入れないことを嘆くかも知れませんが、こことは別の箇所に人が入れる規模の壕を発見したので、それを紹介しましょう。但し、道はありません。



土佐くろしお鉄道高架南のゴミステーションの南から、南東に向かう小径を辿ります。

畑に上がっても向きはそのままで、奥から藪に上がり、竹林に入ると道は消えます。

すぐ右手上に小さな横穴壕が二つ並んであり、西側のものは奥で井戸のような竪穴と繋がっています。



この谷の最奥部西側斜面に大きな横穴壕が掘られ自然、戦跡、ときどき龍馬-大きな横穴壕 ているのです。地形図でいうなら、26.0m水準点の「26」の北の谷です。標高は40mほど。

斜面をトラバースして行ってもいいですし、尾根上の墓地道を歩きながら、下り易い所を見つけると、下りて斜面を進んでもいいでしょう。



壕内は地権者がバケツや作業関係のものを大量に置いていますが、真ん中は空けてあるため、懐中電灯があれば壕の最奥部まで行くことができます。



ps:砲台跡のコース図はこの後投稿します。

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