(1) 笠置寺弥勒岩磨崖仏(京都府笠置町笠置山)
笠置山上にある笠置寺は天武天皇によって白鳳12年(685)に創始された古刹。元弘元年(1331)には寺で天皇親政を画策していた後醍醐天皇が北条軍に攻められ、大半の伽藍は壊滅状態になり、現存堂宇はごく一部のみ。
寺域には胎内巡りと称する有料での修行場巡りができる箇所があり、ここにいくつかの磨崖仏があります。
最大のものは奈良時代後期の作で、高さ15.6m、幅15mもの巨岩に彫られた弥勒岩磨崖仏。
但し、元弘の戦乱等の度重なる戦災で線彫り像は消え去り、光背の彫りこみのみが残る形となって
います。
ただ、寺にはこれ以外にも磨崖仏があります。虚空蔵石に平安時代後期、線彫りされた虚空蔵菩薩像です。こちらも高さ9mという巨大さ。写真には収まりきれません。こちらはくっきりと像が残っています。
像が残っているもので日本最大の掘り込み型線彫り磨崖仏と言えば、宇陀市大野寺南の宇陀川対岸にある「大野寺弥勒磨崖仏」だと思われます。
高さ13.8mの光背を彫り込み、その中に11.5mの弥勒菩薩像を線彫りしています。
これは笠置寺の弥勒磨崖仏を模刻したもので、承元三年(1209)、後鳥羽上皇も臨席して落慶法要が営まれています。石工は宋から渡来した伊行末一族。
私が訪れた頃は像が消えかけていたのですが、’93年~’99年にかけて修復され、現在ではきれいな線彫り像を拝むことができます。
(3)天巧磨崖仏(滋賀県大津市比良山脈)
比良登山リフトの山上駅跡の北比良峠北
東に聳える花崗岩に彫られたもので、巾20m、高さ10mの花崗岩の岩盤が人型の六体に分かれ、それぞれに観音名が記されています。
昭和41年、谷口久次郎知事が、天が巧みに崖を磨いて造った仏と評し命名。
リフト廃止に伴って路線バスも廃止されている模様で、JR比良駅から徒歩三時間ほど要します。
リフト廃止でうるさい観光客が訪れなくなったことは逆にいいことだ、と思う方は次の二つのバナーをプリーズ・クリックon

