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Channel: 次世代に遺したい自然や史跡
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ほんとにあった!呪いの遺産(3)縁切奇譚・中編

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おぬいが山伏の「言い寄り」に困っていた頃、元々身体が弱かったぬいの母は風邪をこじらせ、寝込んでしまう。

ぬいは母に心配をかけまいと黙っていたが、山伏のあまりのしつこさに耐え兼ね、乳母に相談する。



そこで乳母は山伏を諭してみたのだが、一向に聞く耳を持たなかった。

乳母は一計を案じ、おぬいを自分の弟の元に、長者が帰って来るまで匿う決心をする。



ある夜、おぬいと乳母はそっと屋敷を抜自然、戦跡、ときどき龍馬-深浦(旧精華園跡)へ下りる道の切通し け出したのだが、なぜか山伏に勘づかれてしまう。山岳で荒行も行う山伏の足にはかなわず、御畳瀬の前野山を越えると、すぐ背後に山伏の声が迫ってきた。



そして深浦の池畔に差し掛かった時、おぬいはもうこれ以上走れない、と観念し、池に身投げしてまったのである。それを目の当たりにした乳母も自責の念にかられ、後追い投身してしまう。



その光景を追いかけながら見ていた山伏は池に辿り着いた時、初めて我に返り、自らの罪深さを痛感し、同じく池に身を投じたのである。

この深浦の池は底なし沼だったから、三人の遺体は上がらなかった。

池はその後の白鳳の大地震等で消滅し、跡形はなくなった。



後日、このことを知った床上のぬいの母は、ショックの自然、戦跡、ときどき龍馬-底なし沼跡や深浦神社周辺の遠望 あまり急死してしまう。

自宅に戻った宇賀長者はこのことを知らされると、生きる望みも萎え、寂しくこの世を去ったという。

村人たちは囁き合った。「お伊勢様のバチが当たったがじゃ。」と。



後世、三人が投身した池畔に三基の墓碑が建立された。碑面には向かって右から「ヤマブシサマハカ」、「オウバサマハカ」、「オヒメサマハカ」と刻まれている。



この墓碑が建立されると、夜な夜な、願掛け自然、戦跡、ときどき龍馬-'06年時の縁切さん に来る者が多数出た。その中で最も多かったのは縁切り祈願である。それは圧倒的に女性が多かった。


彼女らは人目を忍んでここに来ると、オヒメサマハカの前に刃物と供物を供え、願を掛けるのである。所謂、丑の刻参りと同様の作法で行われる。その光景は鬼気迫るものがある。



また、数は少ないものの、逆の縁結び祈願に訪れる者たちもいた。その場合は、ヤマブシサマハカの前に供物を供え、祈願するのである。

オウバサマハカへの祈願の話は聞いたことがないが、仲介や仲裁、調整役の人らの望みが叶うかも知れない。



縁切り祈願は平成の世に入っても続いていたが、なぜか供えられた刃物は全て日中、知らぬ間に消えていた。その謎が氷解したのは、’06年のことだった。その詳細は後編で。

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