「おらが山」と無名峰の登山ルートの探し方
≪地元に自分だけの山を見つけよう≫ 私は過去、’80年代半ばから’90年代半ばは東大阪市に、’00年から数年間は仁淀川町に居住し、それ以外の時期は高知市春野町に居住していますが、読図の知識がなかった若い頃から、市販ガイド書に紹介されたことのない、ハンキング・コースや登山コースを近所で見つけ、「おらが山」として親しみ、よく登っていました。...
View Article求人のない博物館への就職を目指すには
今月で学芸員資格科目の座学は全て終了し、残るは「博物館実習」のみとなりましたが、これが暗礁に乗り上げています。 「博物館実習」とは、座学を全て終了した後、一週間から10日程度、実際に博物館に行って、実務を学ぶ、というもの。但し、その実習先は自分で探さなくてはなりません。...
View Articleなぜ坂本龍馬の人間性より史跡や街道を重視するのか
≪偉人の思いを勝手に詮索するのは失礼≫ 拙著読者や当ブログ閲覧者の中には、私が坂本龍馬その他の志士、偉人を解説する時、「思い」や人間性より、関連史跡や遺構、街道を主体的に綴っていることに疑問を抱いている方がいるかも知れない。 基本的に私は龍馬らに対しても、先日、博物館資料論のレポートで解説したように、自らの価値観を他人に押し付けたり、偉大な偉人の思いを勝手に詮索することは良しとしない。...
View Article北朝鮮拉致問題は超法規的融和策で臨んで決着を
≪チャンスは今しかない≫ 現在、日朝会談が進行中だが、拉致問題の進展は今しかないのではないかと思う。それはキム第一書記に変わって間もない時であり、書記が若年であること、自ら拉致に関わっていないこと、自国の経済が逼迫し、外国に支援を求めていること等が挙げられる。 書記は日本のアニメやゲームその他の文化に親しんでいるため、それほど日本に対し、悪い印象は持っていないはずである。...
View Article坂本龍馬脱藩の道長州路7防府市編(2)
≪脱藩の道と山陽道を結ぶ萩往還≫ [堀を埋め尽くす亀の大群] 坂本龍馬の脱藩の道・長州路陸路は、防府市三田尻の三田尻御茶屋から始まりますが、当ブログでは飽くまで追体験をすることを考えて記述しているため、JR山陽本線防府駅を起点に記述します。 上関港界隈から防府駅に向かうには、航 路なら柳井港→山陽本線柳井港駅、路線バス時は柳井駅へと行き、そこから山陽本線で防府駅へと向かいます。...
View ArticleNHKみちしる投稿のための探訪地
≪他の投稿者が訪れない地を投稿≫ 今年に入り、出版事業を休止したため、龍馬の街道を踏査することもなくなったのですが、たまにNHKみちしる (←クリック・県別一覧ページ・リンク)サイトへの投稿のため、出かけることがあります。 今年の春まで、高知県ページの「鏡川」映像に投稿がなかったことから、以前、桜のミニスポットの記事で紹介した大穴峡を、桜の時期、訪れました。...
View Articleほんとにあった!呪いの遺産(2)縁切奇譚・前編
[伊勢神宮の祟り] 去年5月末、呪いの遺産第一回の投稿の深浦神社に関する記事中で触れた「縁切さん」だが、高知県民の中にはこの二つを混同する向きがある。が、深浦神社と縁切さんの創始過程は全く異なる。 縁切さんとは、土佐の古代、約1300年前、絶大な富と権力を手にしていた宇賀長者の娘と関係者二名の墓碑のことである。しかしその墓碑の下にその三人の遺骨はない。なぜなら、彼...
View Articleこれが愛媛県一の絶景だ(S・S・見知ラン選定)
≪長く伸びる恐竜の背のような岬尾根≫ これまで、高知県一兼四国一の絶景「大堂海岸(四国のみちよりの竜ノ浜沖の眺望)」、香川県一の絶景「紫雲出山(山頂からの展望)」、徳島県一の絶景「千羽海崖(嵐瀬休憩所近辺からの景色)」を紹介しましたが、愛媛県一の絶景と言えば「由良山からの展望(支尾根岬の景観)」ということになります。 由良山(249.1m)とは、宇和島市と愛南町...
View Article坂本龍馬脱藩の道長州路8防府市編(3)
≪招賢閣での浪士の活動≫ 車塚古墳から南は、私は萩往還ではない道を辿ったため、しばらくは机上解説になります。 萩往還は防府高校沿いを南下して行きますが、御茶屋へのルートが遠回りになっているのは、城と同様、防衛面を考慮してのことです。...
View Article源平伝説紀行(1)平清盛も愛でた日本三大神滝
日光・華厳の滝、紀州・那智の滝と共に「日本三大神滝」に数えられる名瀑が神戸市中央区の市街地の近くにあります。宇多天皇、後醍醐天皇、在原業平も訪れたことのある布引の滝です。 生田川中流の布引貯水池下流に形成され...
View Article目が疲れる眼鏡人はコンタクト(使い捨て)を
≪処方箋いらずで一ヶ月4,000円ほど≫ ≪コンタクトレンズ初心者は必読≫ 私は眼鏡をかけている際、室内用、パソコン用、外出用と、べつべつの眼鏡を装用しています。それは視界の距離感により、度数がきつくなったり、弱くなったりするからです。...
View Article坂本龍馬の街道の現存店屋(2)戎屋
≪山陽道終点から更に続く脱藩の道沿いに≫ 坂本龍馬脱藩の道・長州路は、山陽道終点から更に竹崎浦まで続いていることは過去、述べました。その山陽道終点として一般の書籍で取り上げられている亀山八幡側の堂崎の渡し跡は、九州に渡航する際の終点であり、本当の終点は旧永福寺門前にあった一里塚であることもその時、解説しました。...
View Article陸軍東山高射砲台跡から布引の滝への回遊コース図
≪新神戸駅を基点に完全回遊コース≫ 先般述べた、一月に投稿した神戸市中央区の陸軍東山高射砲台跡から、先日投稿した日本三大神滝、布引の滝への手頃な回遊ルート図をヤマケイ関連サイト「ヤマレコ」に写真入りで投稿したので、確認下さい⇒こちら。 ヤマレコの図はアメブロが禁止しているHTMLを含んでいるため、貼付できません。 尚、ルートラボサイトはルート作成画面がフリーズを起こし、利用できなくなりました。...
View Article真実のよさこい伝説紀行(5)二人の僧との三角関係
≪お馬は母と同年の住職に恋を≫ お馬は奉公明けで追手筋の小倉六右衛門邸から長江の自宅に戻ると、母、久万(薊野村出身)の仕事の手伝いをするようになります。 母は五台山・竹林寺の僧たちの法衣等衣類の洗濯をしており、お馬は母と共に、後世、自分の名が付けられる五台山東参道を歩いて、定期的に竹林寺へと出向いていたのです。...
View Articleほんとにあった!呪いの遺産(3)縁切奇譚・中編
おぬいが山伏の「言い寄り」に困っていた頃、元々身体が弱かったぬいの母は風邪をこじらせ、寝込んでしまう。 ぬいは母に心配をかけまいと黙っていたが、山伏のあまりのしつこさに耐え兼ね、乳母に相談する。 そこで乳母は山伏を諭してみたのだが、一向に聞く耳を持たなかった。 乳母は一計を案じ、おぬいを自分の弟の元に、長者が帰って来るまで匿う決心をする。 ある夜、おぬいと乳母はそっと屋敷を抜...
View Article坂本龍馬関連の消滅史跡古写真
≪昼寝の松と暗殺二ヶ月前の停泊地≫ 「坂本龍馬昼寝の松」とはこれまで何度も触れてきた、嘉永3年、龍馬が四万十川の堤工事の現場監督補佐に出向いた際、作業の合間、もたれかかって昼寝をしていたという松。 中村の四万十川に架かる赤鉄橋西袂のやや上流側にあった松林の一つ。但し大正末頃、護岸工事の際、全て伐採されてしまいました。 この松は並松と呼ばれ、古写真はブログ...
View Article勤王ファンに相応しい腕時計(2)
一昨年、昭和天皇陛下即位60周年記念のオレオ ールの腕時計や陸海軍の将校用の精巧社のもの等を紹介しましたが、あれ以降、入手した腕時計の中でデザインが最も気に入っているのは、今上天皇陛下生誕77周年喜寿記念腕時計。裏に刻印は何もないものの、黒の文字盤に金色の菊紋が入ったもの。 他には戦艦大和の文字と正面の絵が浮き彫りされた腕時計。こちらは一般的なウォッチより一回り大きく、かなり目立ち...
View Articleネット初公開「四国龍馬街道」学会論文・前編
先日、「なぜ坂本龍馬の銅像がこんぴらにある?」という検索 訪問がありました。これについては過去何度か解説しているため、当ブログ閲覧者は承知していることでしょう。 この疑問については、'10年度の現代龍馬学会論文の中の、当方 の論文に於いても説明しています。 尚、銅像建立推進者は地元の観光バス会 社の模様。 学会の論文は世界的な...
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