≪山陽道終点から更に続く脱藩の道沿いに≫
坂本龍馬脱藩の道・長州路は、山陽道終点から更に竹崎浦まで続いていることは過去、述べました。その山陽道終点として一般の書籍で取り上げられている亀山八幡側の堂崎の渡し跡は、九州に渡航する際の終点であり、本当の終点は旧永福寺門前にあった一里塚であることもその時、解説しました。
藩政期の山陽道を描いた絵図の中で、最も有名な絵図は前述の一里塚までしか街道を描いていませんが、その他の立体
的絵図等では、そこから西方の街道も記載されています。その竹崎浦へと続く道沿いにあった店屋の一つが現存しているのです。
それは久坂玄瑞が攘夷戦争の口火を切った(砲撃するために出港した)、細江港の側にありました。現在、日和山公園(高杉晋作日和山像が建つ)の南上り口南東にある「茶道具店・戎屋」です。
この店は藩政時代後期、武士の日々に嫌
気がさし、藩士の家禄を捨て、茶の道に進んだ者が始めた茶道具屋で、屋号も昔のままです。但し、建物は藩政期のものではなく、’10年時はシャッターが閉まっていました。
この店の北東には奇兵隊の前身とも言える、久坂玄瑞が率いた光明寺党の屯所だった光明寺があります。こちらも空襲で焼失し、戦後再建されています。
更に旧永福寺門前跡から光明寺に至るまでの中間の道沿いには、一昨年触れた、坂本龍馬の旧友の一人で亀山社中員、池内蔵太に暗殺された、龍馬を慕っていた真木菊四郎の殉難地碑もあります。
次回は、龍馬が脱藩一ヶ月前の文久2年2月下旬に歩いた街道沿いに残る、歴史的家屋の店屋を紹介します。
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