日光・華厳の滝、紀州・那智の滝と共に「日本三大神滝」に数えられる名瀑が神戸市中央区の市街地の近くにあります。宇多天皇、後醍醐天皇、在原業平も訪れたことのある布引の滝です。
生田川中流の布引貯水池下流に形成され
た布引渓谷に懸かる滝群の総称が布引の滝。渓谷最大の雄滝の落差は43mですが、なかなか形状や周辺の景色は良く、市街地の駅から徒歩で行ける距離にありながら、足元から断崖になった箇所もある等、行楽客やハイカーには人気です。
「平治物語」では、平清盛が滝見物に訪れた際、家来の難波経房が悪源太源義平の雷によって殺された逸話が記載さ
れ、「源平盛衰記」には、清盛の長子、重盛が見物に訪れた時、家来の難波経俊が滝壺に入り、底の竜宮城を見て、外に上がったところ、落雷により命を落とした旨の記述があります。
この竜宮城が神滝である所以でもあるのですが、古代、布引の滝の側に若い娘と翁が居住していました。ある日、翁は娘に、この滝で修行を積めば、あらゆることを自在に操れる神力が得られると告げます。
娘はそれを信じ、それから毎日滝に打たれる修行を積むことになるのですが、やがて神力を体得、ある時は竜神に変化し、民を苦しめる魔物を退治し、ある時は弁天に化身し、嵐に揺れる船を助け
たり、農民の労苦を軽減させる等し、村人は彼女のことを大竜王或いは弁財天と呼び、各地に祠を建立し、奉りました。
人間の姿の時は、乙姫と呼ばれ、滝での修行時、白い着物を側の木に掛けていて、その着物がたなびく様子と滝の流れをかけて、布引の滝と呼称されるようになったと言います。
滝を探訪するには、地下鉄新神戸駅下車、北1番出口から山陽新幹線新神戸駅の北側の道路に出て、北進、すぐ現れる砂子橋を渡ります。この橋は明治33年に完成した布引水源地水道施設の内の一つ。煉瓦造りの水路橋で、重要文化財に指定されています。
北西に進むと道が二手に分かれますが、
ここは下の道を行きます。ほどなく、落差19mの雌滝の鑑賞用のベンチが設置された橋が現れます。ここでカップルにつかまり、記念写真を撮らされてしまいました(ミニ三脚でも持って来とけよ)。
滝の手前には堰堤がありますが、これも明治33年建設の時代を感じる近代化遺産なので、周囲の風景とマッチしています。
所々、遊歩道下は市街地の側とは思えないほどの深い淵となっており、「神戸」の奥深さを感じさせられます。
次の鼓ケ滝は看板が出てなかったように思います。木々が邪魔で全景は望めませんが、箱型の滝壺に落差10mほどの滝が滑り落ちています。
何段にもなって落下しており、橋から望めるのは最下段の滝。そして滝壺を経て、その下に二条になって落下しているのが夫婦滝です。
雄滝最下段の滝は半ばまでは流が細く、後半はそれこそ、布を広げたようにスカート状に落ちています。
滝壺はかなり大きく、名瀑の風格が感じられます。
山手に上がった所には小屋掛けの雄滝茶屋があり、滝周辺を見下ろしながら、小腹を満たすことができます。
因みに私は今年の正月、陸軍東山高射砲台跡を探訪した帰路、この道へと下りて来ました。その変化に富んだコース図は近々、ルートラボ・サイトに投稿する予定です。
今週末にも、砲台跡から布引の滝までのコース図を投稿してほしい、という方は次の二つのバナーをプリーズ・クリックon

