≪企画展を目指して踏査開始≫
≪真実の脱藩の道から分岐≫
ガイド書出版事業を中止したことにより、坂本龍馬の土佐四大街道の土佐東街道と松山街道の踏査をやめたことは以前述べましたが、先月末、越知町立横倉山自然の森博物館と話し合った結果、松山街道の踏査をすることを約束し、先日、龍馬が久万高原町の板屋へ行った際のルート、久万街道も合わせて踏査する旨、伝えました。
博物館側が龍馬関連の街道の企画展を開催するとは決まっていませんが、当方としても踏査するからには、何らかの催しを館で行って戴きたい旨、伝えました。
久万街道とは、前回記述した、板屋前を通る別路の松山街道の、越知町史に於ける呼称
です。龍馬の茶屋立ち寄り伝承のある「本家」松山街道とは、越知の町に入った所で分かれ、文徳から横倉山登山道と合流、中腹で分岐して三嶽越となって、植林帯の中を西進します。
その本家松山街道は以前述べたと思いますが、高知城下から日高村の旧日下大橋東袂までは、「真実の脱藩道」と同じルートです。
松山街道は、最初の方は古道は残ってないようですが、龍馬の北海道開拓論に影響を及ぼした土佐勤王党員の北添桔磨邸跡周辺の峠は残っている模様。
久万街道の三嶽越は、越知平家会等がウォーキングイベントを開催したこともある位で、長距離に亘って古道が残っていますが、仁淀川町森に下りて以降も地図で見る限りは所々古道が残っている模様。
ただ、あと10日もすれば、また通信大学の試験期間に入るため、今月中旬から末までは踏査を中断する予定。12月に入ると学芸員実習が始まります。
ps:①アメブロの画像が拡大できなくなったのはなぜ?
②11月18日午前10時より、高知市立春野公民館西分分館にて、「春野町史跡七番勝負」という演題で講演予定。例の幼い頃の超常体験「城山の首」もお話しします。
是非、龍馬の松山街道企画展を開催してほしい、という方は次の二つのバナーをプリーズ・クリックon&横倉山博物館にリクエストを。