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Channel: 次世代に遺したい自然や史跡
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坂本龍馬の旅籠・板屋初公開!

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≪久万街道に残る坂本龍馬の旅籠跡≫自然、戦跡、ときどき龍馬-板屋旅籠跡部分
以前触れた、司馬遼太郎が高知県教育委員会に調査依頼していた、愛媛県久万高原町中津岩川に伝わる、坂本龍馬が滞在したという旅籠・板屋跡を探訪しました。


岩川は久万街道経由で土佐から伊予に入って最初の集落で、大体「岩川に泊まる」と言えばこの板屋を指していました。


久万街道とは、坂本龍馬の脱藩の道(真自然、戦跡、ときどき龍馬-板屋母屋部分 実の)の、日高村旧日下大橋から分かれた松山街道から更に越知町中心街東から分かれる街道で、松山街道と同様、松山城下へと達していた道です。


板屋は、板の間が多いことから名付けられた旅籠名。運営したのは亀井家ですが、明治期、現在の国道33号前身の四国新道が開通後、その道路沿いの旭地区に移転後、東京に移りました。自然、戦跡、ときどき龍馬-板屋旅籠跡部分からの展望


しかし元の板屋跡には分家が入り、屋敷を建て替えた後、現在まで続いています。但し、岩川集落の住民は殆ど常時、その地に居住しておらず、亀井氏も年中板屋跡屋敷に居住している訳ではありません。


亀井家は母屋(亀井氏の自宅)と、風呂場を挟んで宿屋跡棟が横に繋がった横長の屋敷。宿屋跡の棟の窓からは展望が広がってい自然、戦跡、ときどき龍馬-亀井家墓所 ますが、龍馬もかつてこの景色を見たことでしょう。


尚、板屋跡の屋敷西には、藩政期から近代までの亀井家の墓所があります。

次回、越知町に伝わる、龍馬が立ち寄ったという茶屋跡を本邦初公開!

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