≪未公開聖地石段と秀吉時代の史跡≫
ももの家のモデル邸見学が終われば、長屋門前から、北西に進み、三叉路を左折して南下します。つまり、飛彈家の裏手
を通り、ももの大叔父家屋を別の角度から見るのです。
各路地の分岐を見送り、南から南東に進んで行くと、右手上の外壁が薄い青色をした戦前の洋館「大内歯科医院(跡?)」が目につきます。
尚、コースからは外れますが、歯科医院手前の三叉路を北西に折れ、南北に走る道路に出て北に折れると、坂本龍馬主導の四藩軍事同盟密約に貢献した新谷
家の墓所があります。
コース解説に戻りますが、歯科医院からメインストリートである道路に出ると右折、すぐ先の歩道が合流する三叉路を左折します。歩道はすぐ石段になりますが、この石段こそ、前回予告で触れた、「瀬戸内もも旅ガイドマップ」にアニメ画と現地写真が掲載されながらも、場所が公開されてない聖地なのです。
ここはももが見守り組の影に追われて逃げている際、飛び降りた石段。但し、ここも若干、実際の風景は異なります。映画では石段が道路まで続いていましたが、実際は道路から少し入った所で石段になっています。
ガイドマップ掲載写真では、この石段は一見すると私道のように思えますが、実際は公道で、通り抜けることができます。映画のポスター風景の場所に至るルートへの近道にもなるので、辿って行きま
す。
実はこの道(上部で石段から小径に変わる)、私は最後まで歩いていません。新谷家墓所やこれから説明する秀吉時代の史跡へ寄るため、今回解説するコースとは一部違う回遊コースを歩いたのです。
よって、前述風景の場所に至るルートに合流するまでの解説は、地図を見ながらの机上ガイドになります。
歩道は緩やかな弧を描きながら南から南西へと進みますが、墓地のある箇所で、道路に下りる石段との三叉路に達します。この手前にも道路に下りる小径が分岐しているかも知れませんが、兎に角、下の道路には下りず、道なりに進みます。
余談ですが、前述の秀吉時代の史跡とは、大長港の観光案内地図板にも記載されていた耳塚のことです。これは秀吉の命による朝鮮出兵時、大長から出兵して戦死した兵士の耳を切り取って遺骨の代わりとし、埋めて塚にしたもの。
耳塚へは分岐から2分もかからない距離にあるので、念のため、道路に下りてからの道順を解説しておきましょう。道路はそのまま南西に進んで行き、集落最奥にある民家南西の駐車場(ゴミステーションのような形状)前で立ち止まります。その向かいの倉庫西の山際に塚はあります。
経年で石積みの上に斜面の土が覆い気味になっているので分かり辛いかも知れま
せんが、大木下に土くれのようになった五輪塔の原形のような墓標がいくつかある箇所です。
因みにその右にある入口が赤煉瓦でできた旧日本軍の横穴壕のようなものは、農業用水暗渠跡です。
次回、いよいよ、大長俯瞰景色の優れた、映画のポスターや小説本の表紙として描かれている場所へと上がって行きます。
耳塚には碑でも建立し、国(=秀吉の野望)のために犠牲になった先人をもっと讃えるべきだ、と思う方は次の二つのバナーをプリーズ・クリック

