≪才谷屋の山を借景とした大庭園≫
今日、坂本龍馬の初恋の人と言われる平井(西村)加尾が明治期居住していた屋敷跡に薬膳(ヒレステーキもある)料亭がオープンした。加尾在住時代から変わらない大庭園(660㎡)を愛でながら古に想いを馳せ、ひとときを過ごすことができる。
加尾は山内容堂公の妹、騂姫(せんひめ)が未亡人となって信受院と称していた頃、付役となって上京した。京では池内蔵太や弘瀬健太、河野敏鎌等の土佐勤王党員たちに資金援助をしている。
慶応2年、土佐勤王党員で後に警視総監となる西山直次郎志澄と結婚し、切腹した平井収二郎に変わって平井家を継いだ。が、明
治11年、長女・三千代が生まれたため、後に三千代に平井家を継がせ、西山家を立てている。
その加尾夫妻が東京へ移る間の一時期、高知市神田の和霊神社(龍馬が脱藩前日に参った社)の東方約800mに居住していたことがある。それが前述の広大な「土佐の三名園」に数えられていた庭園を擁す屋敷である。
この庭園が造成されたのは400年以上前と言われており、関ケ原の戦いに敗れた軍師・遠藤遠江守義範がこの地に落ちてきて、築いたものとされる。
藩政期には家老の別邸となっていたが、近代、料理旅館となり、板垣退助や植木枝盛らの自由民権家のほか、昭和11年には牧野富太郎博士も訪れている。昭和初期には庭園は吉野園と命名された。
牧野博士はこの庭園を調査し、約200種の植物を確認したが、’10年、県立牧野植物園職員によって109種が再確認されている。
庭園は昨日まで非公開だったため、私も鑑賞していないが、才谷屋が所有していた才谷山(水谷山)等、烏帽子山前衛の丘を借景とし、谷から水を引き込み、元々その地にあった大石を庭石にした立派で広大な庭園のようである。
今日オープンした料亭は昼の料理が3,500円、夜は6,500円で月替わりとなる。前日までに予約が必要。問い合わせは「土佐養生膳・加尾の庭」088-855-3221。吉野行きバスの終点降車、徒歩3分ほど。
余談だが、吉野バス停東の吉野川沿いの道路が、夜な夜な鷲尾山山頂で拳銃を撃っていたという、坂本乙女が歩いたであろう鷲尾山吉野登山道跡である。但し、車道終点から春野広域農道の鷲尾山登山口バス停までの古道は残っているか否か不明。該当地形図は「高知」(宮脇書店高知高須店常備)。
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