過去、脱藩の道沿い以外の高知県内の無名史跡一覧は投稿済(→こちら
)故、脱藩の道沿い史跡を列挙する。
[凡例]
キ=古文献等に記録があるもの。
デ=伝承や口碑によるもの。
シ=伝記や郷土書、歴史関係の書物等に記述があるもの。
ア=現地に案内板や解説板、碑、道標等があるもの。
ブ=当ブログで過去に解説または簡易紹介したことがあるもの。
リ=拙著「龍馬が辿った道」に収録してあるもの。
[高知県]
(1) 片岡団四郎邸跡(津野町永野431)
デ・ブ・リ
団四郎は葉山勤王党(通称)で且つ五十人組の
一人。脱藩時かどうかは分からないが、龍馬がここで風呂を借りた伝承がある。団四郎邸で風呂を借りた伝承は、中岡慎太郎の方が有名(片岡直温著「回想録」に記載あり)だが、片岡家では、龍馬にあやかってその後生まれた男児の名に「龍」の字を入れたという。
因みに片岡直温(孫五郎の息子)著の「回想録」には、慎太郎は当初、土佐勤王党員・片岡孫五郎邸(現在の津野町役場の地)に泊まる予定だったが、孫五郎邸の風呂が壊れていたため、団四郎邸で借りた旨、記されている。
孫五郎は龍馬の脱藩時、嫁の里である佐川町斗賀野の山口彦作邸から葉山姫野々まで、龍馬を道案内したと言われている。
デ・ア・ブ・リ
龍馬一行が脱藩時、この茶屋で休憩した伝承があり、現地に教育委員会が看板を立てている。但し、以前も解説したように、峠から東の古道は明治期に造成された電柱管理道である。峠から西の古道については、教委が拙著を参考にして道標を設置した。
(3) 高野の旅籠跡(津野町北川高野・高野バス停三叉路の南下)
デ・ブ・リ
龍馬が脱藩時、この旅籠で食事した伝承がある。旅籠は近代も旅館として営業していたが、明治期、建て替え
られ、昭和期に廃業、平成に入って、三叉路北方の民宿天山が家屋を買い取って自社敷地に移築、宿泊施設「明治の家」として活用している。
尚、明治の家には幕末時代の旅籠の名残である、階段の隠し板が残っている。これは近くに土佐勤王党員(前田要蔵)の屋敷(現地に子孫在住・蔵に要蔵の槍や鎧現存)があったため、密談所として利用していたからであろう。
(4) 中岡利吉邸跡(梼原町茶や谷140)
デ・ブ・リ
脱藩時、龍馬一行を茶や谷茶堂から松ケ峠番所まで道案内した人物。松ケ峠番所で龍馬が堂々と「坂本龍馬、まかり通る!」と名乗って通った、という伝承を後世に伝えたのもこの人物であろう。
現在の中岡家は農家民宿を営んでいるので、脱藩追体験時はここで宿泊して、西方の登山口から古道を上り、愛媛の榎ケ峠登山口にある「民宿武内(通称・龍馬脱藩の宿)」か、峠を越えた麓の地区にある「民宿あまごの里」まで行くと良い。お勧めはあまごの里で、養殖しているあまご(あめご)やマス等の料理が抜群に美味しい。骨酒もある。冬期、あまごの里では、弁当が凍らないよう、タオルを巻いてくれる。
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