[国道沿いの橋台から軌道跡へ]
魚梁瀬森林鉄道須川線とは、林鉄本線である奈半利川線の基点・奈半利貯木場から国道55号沿いを南東から南へと走り、その後、東に折れて須川川を遡っていた林鉄の支線の一つで、昭和3年に藤谷線起点の手前まで開通してから、昭和13年にかけて延伸され、総距離は約13.3kmに達していた。廃線になったのは昭和39年。
現在、廃線跡が残る区間は国道沿いと藤谷線起点以遠。一日で巡ることは可能だが、私は二回に分けて探訪し、一回目は、国道沿いの廃線跡が途切れて以降、四国電力の鉄塔巡視路へ上がり、更に野根山街道に出て、奈半利川線跡に下り、起点に戻るという、一日がかりとなる大回遊ルートを取った。地元 民でも思いつかないこのルートは、必ずやウォーキン
グ及びハイキングファンに喜ばれるものと確信している。
尚、野根山街道は前回も記したように、甲浦と高松順蔵家の伝承により、坂本龍馬も街道を歩いたことが推察される。
探訪するにはまず奈半利町の奈半利貯木場跡へ行かなければならないが、現在、跡地の中心部はダイネツ高知工場、山崎機械製作所、富士鍛工奈半利工場になっ
ている。が、東端には県森連奈半利共販所貯木場があり、面影を多少、残している。
アプローチにバスを利用する場合は、貯木場入口バス停降車。車の場合は、その南東、寺村自動車工業東の、路肩が広くなってい る国道沿いに駐車する。
軌道は国道の南沿いを走っていたが、バス
停から東は廃線跡の痕跡は見られない。国道の路側帯歩道を歩き、南東に進んで行く。
次のバス停・六本松を過ぎて1分半ほど行くと、右手に倉庫と「遍路駅なはり」という休憩所が南北に並んでいたと思うが、倉庫の国道を挟んだ向かいを見て戴きたい。南側が削られて当時の形状とは異なっているが、コンクリート造りの軌道の陸橋橋台と、それから続く築堤が残っている。橋台の高さから推測すると、国道沿いの軌道は今の堤防沿い道よりも若干高い所を走っていたことになる。
橋台の上へ上がるには、鏡台北から東に 入る道路を進み、築堤斜面を上がる。橋台から続く築堤上は家庭菜園のような畑になっている。築堤軌道跡は30mほど進むと、倉庫によって阻まれるが、一旦東の小径に出て、南に進むとすぐ軌道跡に合流する。近所の人
が歩いているせいか、路面はきれいな状態。国道からはかなり高い所を走っている。
少し歩くと消滅した短い暗渠跡に板が渡されており、その先には小屋が建てられ、その部分の廃線跡は狭まっている。
そこを過ぎると多少、下草が生えてくるが、それでも右手が開けた快適な廃線跡ウォークは続く。右手が休耕田や荒地になると築堤との高度差はかなり縮まる。
国道沿いに廃線跡がきれいな状態で残っていることには驚きだ、という方は次の二つのバナーをプリーズ・クリック

