[坂本龍馬と高松順蔵の野根山街道へ]
そろそろ長谷川沿いの車道も近いはず、と思っていた頃、鉄塔巡視路は横道に出る。森林基本図には、ここを西に折れた先から長谷川に下る道が描かれているのだが、道の痕跡は皆無。
そこで逆の東に歩いて行くと、最初の沢
(涸れ沢だったかも)に18番と19番鉄塔の方向を示す標柱が立っている。目指すのは18番だが、標柱の矢印は今来た道を指している。再度西方を探してみたが、道が見つからなかったので、強引に藪漕ぎをして長谷川沿いに下り、権現橋まで悪戦苦闘しながら行った。
後日、権現橋から再度、鉄塔巡視路を探してみたのだが、実は標柱の立つ箇所から沢沿いを下りる巡視路があったのである。しかし標柱の立つ付近の踏み跡は非常に薄く、下り口がやや急勾配になっている。
その正規の巡視路を下りて行ったとす
ると、日吉神社の少々上方で沢を渡り、神社の石燈籠の北側に出る。
石段を下って権現橋を渡り、車道に出るとそこにも鉄塔標柱が立っている。森林基本図を見ると、元々の巡視路は東方から上がっていたようだが、車道沿いの擁壁工事によって上り口が西方に移動したらしく、権現橋西方の緩い右カーブの擁壁に、鉄の足場のような簡易階段が設置されている。元々の巡視路に出るまではジグザグの急登が続く。
とは言え、18番鉄塔の建つ地の高度は 130mだから、大した上りではない。鉄塔からは一旦尾根上を辿った後
、尾根を北に逸れていくが、鉄塔上方よりの西方の平野部から太平洋の眺めは、本コース随一の眺望である。
17番鉄塔は高度90mほどにあり、それを過ぎてほどなく行くと、四国のみちの道標が建つ野根山街道に出る。
野根山街道は以前解説したように、海陽町、東洋町、そして高松順蔵家の伝承により、坂本龍馬が歩いた可能性が極めて高い。そして順蔵も確実に歩いている。その証拠となる順蔵作の短歌がある。
「米ケ岡 越え行く路も白雲に 人や住むらん きねうたの声」
米ケ岡とは、高度400m前後に広がる街
道沿いの集落。但し、一部、四国のみちの指定から除外された街道部分があ
る。米ケ岡は須川線廃線跡の最奥部を辿った際の、独自設定の回遊ルートに含んでいる。そのルートの廃線跡には、石造りの隧道や枕木も残っている。
街道も尾根を下るようになっているが、整備された落ち葉踏む道は心がおだやかになる。
但し、高度70mほどから、地形図の破線道とは微妙に道筋が異なる。破線はそのまま尾根上を辿って平野部に下りているが、実際の道は高度70mほどから尾根を若干南に逸れ、墓地の中を通り、コンクリート歩道が交差する分岐に出る。
歩道はほどなくして車道起点に出る。そこには大きな野根山街道登山口の看板が建っている。奈半利川線跡まで、あと僅かである。
須川線最奥部のコースガイドも早く投稿してほしい、という方は次の二つのバナーをプリーズ・クリック

