[四国第二位の竪穴手前の横穴部]
越知町の横倉山周辺の地層は、元々赤道付近にあり、それが地殻変動等で現在地へと移動してきており、日本最古の一つの地層も纏まってある。
その地層の一つ、古生代シルル紀(4億年以上前)の石灰岩に、2年前、少し触れた星ケ滝洞穴がある。これは有名な平家穴を含む横倉山洞穴群の一つで、十数年前までは地元民以外には知られていなかったが、’00年代に入って町が作成した、横倉山のコースマップには記載されている。
そのマップや登山口周辺に建つコース案内板には、横倉山三角点の東方から洞穴に到るコースが記されているが、そのルートに元々道はない。恐らく、横倉山自然の森博物館の学芸員が洞穴の現況を確認するために辿ったルートだろう。
2年前、そのマップに記載のルートを辿ろうと思って行ってみたが、稜線から南の斜面は崖に近い急勾配で、とても下りられそうにない。そこでマップで洞穴東方に記載されている「土佐桜」(現地石灰石の呼称)の石切り場跡 から、海軍手結第二砲台を探し当てた時のように、斜面を上り下りしながら、トラバースして探すことにした。
洞穴は地形図(大崎)で、三角点南東の標高680mから720m部にかけて描かれている岩マーク内にあった。町史では洞穴の標高を692mと記載していたが、現地で高度計を見ると720mを指していた。町史の調査者が使用した高度計の方が高価ではあるが。
探訪前、この洞穴は横穴とばかり思っていたが、実際は、横穴区間は最初の10m少々だけで、後は傾斜角約45度の竪穴になっていた。横穴区間は立って歩けたと思うが、竪穴区間は直径1mほどの円筒形で、人一人しか入れない。
帰宅後、自宅書庫の文献で調べてみると、この洞穴は町史で「横倉第二洞」と仮称されていた竪穴だった。竪穴の深さは何と52mもあり、四国では大野ヶ原の竜王洞に次ぐ深さであるという。
竪穴部はザイルがないと探索できないが、横穴部はヘッドランプさえあれば誰でも探訪可。道はなくても、三角点(774.3m)から斜面を適当に南東に下れば、巨大な石灰岩の岩盤が現れるから、比較的発見も容易。
横穴部は入口に近いこともあり、氷柱石や石筍等の鍾乳石は形成されていないが、溶蝕作用が大きいため、それなりの見応えはある。当時の記憶はあまりないが、写真を見る限りでは、ライトをあてると星のようにきらめく岩盤もあるようである。少なくとも平家穴よりは探検気分が味わえ、探訪のし甲斐があるはず。
町史では、この洞穴は竪穴の成因条件に合わない旨、記述されていたが、横穴部が東側に40度以上の偏心のあることが、もしかすると成因の鍵になるかも知れない。
探訪コース図とガイドは→「ネット初公開!横倉山・星ケ滝洞穴 」
PS:庵沢山で負傷した足のギブスは取れましたが、まだ登山の再開はできません。道なき藪山登山の再開は絶望的かも。
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