昨日、道なき藪の無名峰、仁淀川町と久万高原町界の庵沢山(1463.5m・愛媛側では「河の子山(川の子山)」とも呼称)の下山途次、レインコート着用で眼鏡が曇り、藪に隠れた倒木に気付かず、くるぶし付近の筋を痛めてしまった。今まで聞いたこともない「バキバキバキッ」という音がくるぶしからして、転倒し、激痛のあまり数分間、悲鳴をあげてしまった。
何とか下山を再開したものの、足が接地するたびに激痛が走り、何度も転倒。登山口に戻りついた時はもう18時近くになっていた。
やはり若い時ならいざ知らず、今はもう雨天時の登山は避けるべきだと思い知らされた。去年も太夫小屋ノ丸を雨天に下山時、変化をつけるために道なき尾根を下ったところ、途中から崖状になったのだが、掴んだ木が腐っていて身体が落下、下方にあった倒木に首をぶつける始末。言わば「セルフ・ラリアット」状態。相手が木だから良かったものの、もしスタン・ハンセンなら確実に首を折られていた(喩えが変)。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】新日本プロレスリング 最強外国人シリーズ::不沈艦伝説 ...
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以前も述べたかも知れないが、去年、12年ぶりに毎週の無名峰登山を再開したのには理由があった。一昨年から昨年にかけて、何度か某npo理事に呼ばれて、魚梁瀬森林鉄道関係の会合に出席したのだが、その際、一般には知 られていない魚梁瀬森林鉄道の各支線をアピールするには、近隣の無名峰とセットでアピールした方が、馬路村や北川村、奈半利町等にアウトドアファンを呼び込み易い旨を意見した。
それを証明するために、拙著未収録の当該地域の無名峰と前述の各支線廃線跡を登るようになったのだが、去年8月の台風で魚梁瀬の各林道は崩壊。これで6、7年前、高知新聞等で報道されたレールが残る山中の支線の廃線跡や、その周辺の無名峰が登れなくなってしまった。
更に去年秋、馬路村長が講師を務めた講座に於いて、前述のアピール策を村長に進言したところ、村長は登山=危険なものと決めつけており、山はガイドをつけて登るべきもの、というナンセンスな見解を述べたのである。ガイド人をつけて登るような「遠足登山」では、真の自然を体感することは到底無理で、村の「交流登山人口」も増加しない。
‘00年に名刺交換をした村の観光部署の職員は、「藪の無名峰であっても、それを世間に知らしめて貰えれば、村として もメリットがある」と語っていたのに残念な限り。村長は嶺北地域等の登山が盛んな自治体で登山活動の視察をし、村の観光資源としての「山岳」を活かす方策を立てるべきではないだろうか。
魚梁瀬の山に登れなくなって以降、惰性で他の地域の無名峰に登ってきたのだが、足を負傷した今、改めて無名峰に登る意義を自問自答している。その結果「無名峰に登る意義はない」と判断すれば、もうそれをやめるだろう。
Ps:無名峰のコースガイドを投稿しているヤマケイサイトに過去、当ブログで紹介した奈良市一の裏パワースポット・御蓋山(禁足地)と奈良時代のピラミッド・頭塔(→奈良市一の聖地から奈良時代のピラミッドへ)や日本最大級超古代石造物・益田岩船(→日本最大級超古代石造物と飛鳥路)を含んだ独自設定の山と山麓を巡るコースガイドを投稿済。
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