[五色塚古墳と妙見山古墳]
我が国の巨大古墳に於いて、初めて復元工事が開始されたのは昭和40年。神戸市が当時の総工費2憶5千万円(現在の貨幣価値ではその倍以上)をもって10年の歳月をかけ、全長194mの兵庫県最大の前方後円墳を復元した。築造当時のように墳丘を覆う葺石は陽の光を浴びて、古墳全体が光り輝いていた。
一方、愛媛県今治市(合併後の)は、500基以上の古墳を擁する古墳王国。その中で標高80mの山上にある全長55.2mの前方後円墳が平成7年から8年にかけて、復元・保存工事がなされ、石槨もガラス越しに見学できるようになった。
どちらの古墳も海に近いことから、墳丘からは空と海のブルーのパノラマが広がる。とくに今治市の古墳からは、標高が高いだけに絶景が広がる。
(1) 妙見山古墳(今治市大西町宮脇乙)
斎灘を見下ろす妙見山山上に、古墳時代初期(3世紀後半)、最古級の三基の前方後円墳からなる妙見山古墳がある。一番規模が大きいのが1号墳。2号墳は全長35m、3号墳は23m。
唯一調査がなされている1号墳は二段に築成されており、葺石は段築部と裾部のみに葺かれており、総延長23mのV字排水溝が造成されている。
1号墳の竪穴式石室は後円部と前方部に一基ずつあり、大きい方の後円部の墓壙は長辺10.8m、短辺5.6m、深さ2mで、石槨は全長6.7m、幅1m。石棺内法は全長1.86m、幅35cm。
墳頂周囲に配置したレプリカの土器は、この古墳でしか出土していない伊予型特殊器台と二重口縁壺や小型土器を復元したもの。これらを使用して、墳頂で被葬者に対する共飲共食儀礼や先祖供養が行われていたと考えられている。
古墳は藤山健康文化公園内にあり、1~3号墳を回遊できるようになっている他、遊歩道沿いには、1号墳の二基の石槨天井石が展示されており、コース基点には副葬品等を展示した大西藤山歴史資料館がある。入館料300円(2012年時)で月曜休館(祝祭日を除く)。問合せTEL0898-53-2313。JR予讃線大西駅より徒歩約15分。無料駐車場完備。
(2) 五色塚古墳(兵庫県神戸市垂水区五色山)
明石海峡を見下ろす垂水丘陵の南端に、三段に築造された、4世紀後半の古墳。千壺古墳とも呼ばれるが、淡路島の五色浜から石を運んだため、五色塚と呼ばれるようになったとも言われる。
このことからこの古墳は、日本書紀の神功摂政元年2月の条にある「播磨に詣りて山稜を赤石に興つ。よりて船を編みて淡路島にわたして、其の嶋の石を運びて造る。」のことではないかと言われている。但し、これは仲哀天皇の偽装陵墓のこと。
その葺石の数、実に223万個。三段の段上と墳丘に設置された埴輪や土器は約2,200個にも及ぶ。これでも古墳の規模では全国27位。
周濠も残っているが、古墳のくびれ部付近の濠内には一辺20m、高さ1.5mの方形盛土があり、後円部東側濠部には、南北8m、東西15.5mの盛土があって、2基の円筒棺を擁す。
埋葬施設の発掘は行われていないが、藩政期の古文書等から、盗掘され、石棺も掘り出されていたものと思われている。
尚、藩政期の絵図を見ると、後円部の墳丘に展望舎のようなものが建てられおり、昔から名所だったことが分かる。
五色塚古墳のすぐ側には同時代に築造された直径70m、墳高8.5mの円墳、小壺古墳があるが、宅地開発される前は、他に数基の古墳があったという。
古墳へは山陽電鉄霞ヶ丘駅から東へ徒歩数分。問合せは五色塚古墳事務所078-707-3131(月曜定休)。
次回以降の史跡カテゴリーでは、関西の二ヶ所の「密集」群集古墳を紹介予定。
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