[歴史資料ギャラリーも併設]
坂本龍馬と沢村惣之丞の脱藩時、四国最後の宿となった愛媛県大洲市長浜町の豪商・冨屋金兵衛邸が、私が同市河辺町で講演を行った9月23日、茶房と歴史資料ギャラリーを併設した素泊まり宿泊所としてオープンした。
龍馬らが旅立った長浜港からは、龍馬が脱藩後、薩長同盟締結に向けて奔走していた際、船の潮待ちで立ち寄った青島(→龍馬の滞在した海軍島)への定期船が出ていることもあり、龍馬ファンにとっては有難いが、近年、宿泊施設のない青島(下の写真は島の弁天崎)は西日本一の猫島として爆発的人気を博しているため、猫好きにとっても朗報。ただ、青島の猫は全て去勢・不妊手術をされる計画であるため、これ以上、猫が増えることはない。
冨屋邸が宿泊施設になった経緯は、金兵衛の子孫の当主が亡くなり、その二人の娘の内、一人も他界したため、残ったもう一人の娘の方が龍馬ファンや地域活性になればと、交流の場や宿泊施設を「株式会社冨屋金兵衛邸」(→公式ホームページ)としてスタートさせた次第。
建物は昭和末頃、建て直されているが、一部の建材は再利用されており、造りも幕末時とはあまり変わっていないという。
ギャラリーには恐らく、吉村虎太郎が脱藩時の文久2年3月6日、ここに止宿した際に綴った手紙も展示されていることだろう。これを機に、大洲市長浜町と高知県津野町との交流が深まれば、交流人口の拡大にもなるだろう。
拙著では長浜小学校前バス停を基点に、龍馬らが上陸した江湖やチェックを受けた波戸番所跡(公道からの確認不可)、浜番所跡(下の写真)、日和山や亀の首砲台跡、大洲藩の各機関跡、いろは丸を模した巨大遊具等を回遊する形で紹介。また、廃線跡の著書では愛媛鉄道の長浜駅跡から続く廃線跡を紹介したが、それらに興味のない方でも、沖ノ城砲台跡一角に建つ大洲市役所長浜支所庁舎や豪家・末永家住宅は一見に価することだろう。
庁舎は昭和11年、末永氏の寄付によって建てられた。入母屋造、瓦葺の面積382平方メートルの建物。外観は建築当時と殆ど変わりなく、正面玄関上部は切妻風で、ここに2本の円柱で支えられた半円形のレリーフがあり、外壁下部は御影石を貼っている。
廻漕業者の末永家住宅は明治17年の建築で、470坪に旧主屋、湯殿、茶室、百帖座敷(昭和2年建築)、蔵、納屋等が建ち並ぶ。通りに面した旧主屋は、切妻平入本瓦葺の二階建てで、なまこ壁仕立て。
今後、冨屋を中心としたまち歩きコースを設定すれば、更なる活性化が期待できるだろう。
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