[陸軍水上特攻部隊の浜]
以前、香川県観音寺市の有明浜が「日本のウユニ塩湖」に成り得るか否かの記事を投稿したが、数キロ南方には同様に干潮時、浜が気象条件によっては鏡面になる砂浜がある。海水浴場にもなっている一の宮海岸である。こちらの海岸は有明浜とは違い、夕日は水平線に沈み、夕日の名所にもなり、「恋人の聖地」指定も受けている。
この海岸南のメガソーラー設置場所には何年か前まで、富士紡績豊浜工場があったが、この工場と和田浜東部国民学校の一部が昭和18年4月、広島市宇品に創設されていた陸軍船舶幹部候補生隊の基地として徴用され、部隊は移転した。
翌年3月には逆上陸部隊・暁部隊の増強を図るため、他の兵科からの転科もあった。
更に翌月には全国の甲種幹部候補生合格者から選抜され、幹部将校を養成するための「幹候隊」が創設された。彼らは海上の他、一の宮海岸や富士紡績のグランドで日々特訓を重ね、水上特攻の素地を作って行ったが、昭和20年に入るとB29やグラマンの来襲も多くなった。
幹候隊は終戦後の9月5日、解隊された。
昭和43年、元隊員によって豊浜会が結成され、昭和60年、亡き戦友の慰霊のため、少年兵の像「留魂像」が海岸沿いの一の宮公園内に建立された。
基地跡はメガソーラーになったことで殆ど名残はないが、敷地の境界の大半は富士紡績時代と同じため、基地の裏門跡は同定できる。そこは敷地南の道路がその敷地に突き当たる箇所である(上の写真と下の地図)。
尚、添付している基地跡の俯瞰写真についてだが、これは高速道の魚見山トンネル東方に広がる魚見山森林公園からズーム撮影したもの。公園内には回遊できるウォーキングコースも整備されているのだが、コースは終始、山腹を走っており、展望台もないことから、登山愛好家にとっては魅力に欠ける。
ところで一の宮海岸の「日本のウユニ塩湖度」だが、やはり干潮時刻と近接した時間帯は潮が引き過ぎるため、鏡面水面部分が少なくなる。
日没時のマジックアワー度も父母ヶ浜には及ばない。ただ、有明浜同様、日中の時間帯は雲が適度にあれば、鏡面になることだろう。その際の鏡面度は冬場より夏場が適している。
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