[高知と関西の田舎の夏風景]
夏、特に7月下旬から8月は、「漠然とした田舎の夏風景」に憧れる。しかし現実世界に於いてはお目にかかったことはない。その風景があるのはアニメの中だけのように思う。
例えば「おもひでぽろぽろ」、「河童のクゥと夏休み」、「マイマイ新子と千年の魔法」、「ももへの手紙」、昨日見た「ゲゲゲの鬼太郎」(猫娘が人気)等。
蝉の鳴き声が聞こえる農山村の田園風景の中、虫取り網を持って駆けて行く少年や川遊びをする園児・児童たち、汗を拭きながら農作業をする老人たち、草原を揺らす風に入道雲・・・。その光景はまさしく憧れの夏風景。
しかしこれまで何百ヶ所と巡ってきた中、そんな理想の風景に出会えたことはない。いや、その風景は人との触れ合いの中で生まれるのかも知れない。
これまでアウトドアに於いて「夏の思い出」として記憶があるものと言えば、20代の関西在住時、帰省した折に旧友と出かけた所位しか思い浮かばない。
一つは以前も述べた、’89年の夏、映画「スタンド・バイ・ミー」に憧れて友人と高知県いの町のJR仁淀川橋梁を歩いたこと。当時は橋梁の袂にフェンスがなく、近隣住民が散歩がてら渡っていた。
しかし列車が横を通過する時は物凄い振動で、鉄橋に掴まってないと仁淀川に転落しそうだった。
途中で降雨になったため、橋梁下で雨宿りしながら弁当を食べたのも思い出になった。
その後、仏ヶ峠のハイキングコースを辿ろうと思ったが、当時は地形図を持参することがなかったため、道が分からず、途中で引き返した。
翌年の夏の帰省時は同じ友人と香南市の手結にバスで出かけた。最初は旧国道から以前紹介した土佐東街道の手結坂・御殿坂を登る予定だったが、旧澤餅屋(二代目御茶屋餅屋)跡前で道を間違え、「考える村」方向に行ってしまった。
その後引き返し、正規のコースを辿り、御殿坂を越えて国道の「手結山ホテル前」バス停に下り、そのホテルのレストランで昼食を取った。リゾートホテル「海辺の果樹園」の前身のホテルである。盆期間であるにも拘らず、客は他に一組しかいなかった。当方はソーメンと冷酒(土佐鶴)を注文し、友人は海賊焼きのようなものとビールを注文したように思う。
窓からは潮風がそよいでおり、その下にはステゴサウルスの像等が建つコスモス園が広がり、太平洋を望見できた。
食後は手結岬から住吉漁港をウォーキングした。
この日も暑く、ホテル前バス停南の土佐電鉄安芸線廃線跡の登龍門隧道で少し涼んだ後、手結岬(下の地図)へと向かった。
旧夜須町随一の景勝地、手結岬へ着く頃にはまた天気が一旦崩れたように思う。小雨も降ってきたかも知れないが、晴れ間の中の雨雲は不思議な光景だった。
写真を見ると空は青黒くなっているが、荒波の白さが際立っている。それでも北の大手の浜には海水浴客が楽しんでいた。ここでの遊泳は禁止されていないのだろうか。
雨が上がると岬下の岬随一の景勝、夫婦岩前の浜に下りたが、雨が上がった後の海は日の光を浴び、銀色に輝いていた。
関西在住時、盆期間に帰省したのはこの二回のみ。これ以外に懐かしむような「夏の思い出」はない。
これ以外に「夏の風景」(【思い出】とは少し違う)として推奨できるのは、以前も「関西一美しい高原」として紹介した奈良県曽爾村の倶留尊高原(曽爾高原)。一面に広がる緑のビロードが如き草原と山はまるで絵本の世界。「ジブリの世界のよう」と表現する者もいるほど。
高原まで車道が通じているが、ハイキングコースとして推奨するのは、三重県側の飯垣内(はがいと)バス停から日神渓谷を遡り、西浦峠から倶留尊山、二本ボソを縦走して亀山峠から高原に下りるコース。滝群やパノラマ峰を楽しむことができる。
四国でこのような大規模な高原と言えば塩塚高原があるが、一部が観光地化されているので、ジブリの世界観はない。
他に「田舎の夏の雰囲気」を体感できるものとしては、以前も触れた滋賀県多賀町の河内風穴から汗拭き峠を越えて米原市の醒井養鱒場へと下るハイキングコース。
河内風穴は以前も解説したように関西最大の鍾乳洞。夏場には涼感を得られるが、昭和後期にバスの便がなくなったため、彦根駅等からタクシーを利用するしかない。
風穴近くの芹川では大きくの子供たちが川遊びに興じていた。
落合地区からは大洞谷沿いの未舗装林道を進むが、廃校の校舎のような建物があり、小川のようなせせらぎには魚群が。
やがて登山道となり、名山・霊仙山二合目の汗拭き峠を越えると意外にも山小屋「榑ヶ畑小屋・かなや」が営業していたが、宿泊する登山者はいるのだろうか。
宗谷川沿いの林道を下って行くと日本最古の養鱒場・醒井養鱒場に着く。釣り堀や場内食堂での低価格鱒料理が人気。
ここからはバスで醒ヶ井駅へ。
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