[御荘湾を真珠湾に想定]
真珠湾(パールハーバー)に地形が似た愛媛県伊方町の三机湾は、旧日本軍の太平洋戦争(真珠湾奇襲時)に於ける最初の戦死者たち「九軍神」の特殊潜航艇による訓練地・海軍三机特殊潜航艇基地として有名。
だが、旧防衛庁編纂の「戦史叢書・ハワイ作戦」には、九軍神は三机から直接ハワイへ行ったのではなく、昭和16年11月下旬、三机を去った後、「宿毛湾の中城湾」に移動してハワイ攻撃の訓練を始めた旨、記述されている。
更に「トラトラトラ」(ゴードン・W・プランゲ著、千早正隆訳)には「真珠湾口に似ている中条湾に移動して最後の訓練をした。夜間侵入して一番奥にある弁天島を一周して母艦に帰る予定であったが、一隻が座礁した」とある。
宿毛湾内には中城湾は存在しないが、昔、宿毛湾の西にある愛南町の御荘湾は平城湾と呼称されており、湾内に浮かぶ大島(上の写真と下の地図)に建立されている厳島神社は「弁天さん」とも呼ばれていた。特殊潜航艇の母艦・千代田の艦長、原田覚大佐の日記にも三机湾を出航して10月31日から11月3日にかけて、九軍神らが「平城湾」で訓練した旨、記載されている。
10月31日は岩佐直治大尉、横山正治中尉、古野繁実中尉の三艇が平城湾口の突破訓練、11月1日は広尾彰少尉、酒巻和男少尉(真珠湾で捕虜に)、伴勝久中尉(昭和17年6月、シドニー港にて散華)の三艇が同様の訓練を行った。
11月2日は六艇で平城湾奥まで入り、大島を周回してUターンしたが、一艇座礁。3日も湾奥を周回したが全艇成功した。大島の東には小さなその名も「小島」があるが、その周辺は水深が浅いため、もしかするとそこで座礁したのかも知れない。
4日は伊予市郡中沖で着底訓練して5日、宮島に上陸して武運長久祈願をし、呉港へ寄港した。
そして11月18日、倉橋島の亀ヶ首で九軍神と酒巻和男少尉の五艇の特殊潜航艇が親潜水艦「伊号潜水艦」に搭載され、死出の旅路、ハワイに向けて出港して行ったのであった。
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