坂本龍馬脱藩の道長州路10防府市編(5)
≪近藤長次郎VS長州海軍局≫ 住吉神社から東の道路に出て、入間川の北端に行く。この川が海から御船倉へと入るメインの堀跡で、昔はこの南北の流れの北端が三田尻三丁目5番まで延びており、その北側には御船具蔵が南北に並んで二棟あった。その二棟は三丁目4番区画の西半分辺りにあった。 南北の堀から東に分岐する形で旧堀と新堀があった。そしてその新旧の堀の間に...
View Article高知県への移住を考えている方へ(1)
≪農林業の現実≫ 以前も触れたように、今年6月、県が発表した「高知家プロジェクト」(宣伝動画に広末涼子を起用)は、高知県を一つの家族と見做し、県外者をあたたかく迎える、というもので、最終目的は、全国ワーストクラスの人口減少率を食い止めるべく、県外者の移住を促進すること。...
View Article高知県への移住を考えている方へ(2)
≪居住地と買い出し先の関係≫ 高知県への移住・Iターン希望者は田舎暮らしをすることを前提としているケースが多いと思われるので、移住先は郡部になるものと思う。尚、高知市を基点とした場合、県内は離島を除くと全て車で4時間以内で行ける。海岸部で最も遠方になるのは大月町柏島。山間部は3時間以上かかる地区が多数存在する。...
View Article真実のよさこい伝説紀行(6)かんざしを販売した店
今年はよさこい祭り60周年記念ということもあり、去年9月に中断していたこのシリーズを復活させました。 純信にお馬を奪われた慶全は、何とかお馬の心を取り戻そう...
View Article高杉晋作と坂本龍馬が辿った金毘羅街道(番外編)
≪高杉晋作の四国最後の潜伏地≫ 高杉晋作が下関開港・替地論を展開したことで、長府藩報国隊軍監が暗殺指令を発し、晋作とうのは長州を脱出、慶応元年5月、松山道後から讃岐金毘羅へ亡命してきた際、歩いた金毘羅参詣道丸亀道を紹介したこのシリーズは3年前、完結させた。が、今回、晋作の四国最後の潜伏地について記した文献を入手したため、特別に今回のみ、再開させる。...
View Article地下の全自動八大地獄巡り・正観寺
≪洞内にこだまする亡者の悲鳴とうめき声≫ 先月、祖谷の廃業した洞窟の地獄巡りを紹介したが、今回は営業中のものを紹介する。但し、地下の素掘り施設と言っても、出口と入口が建物にあるため、地下に掘られた施設であるとはすぐ認識できないかも知れない。しかし中に入るとひんやりとしており、今の時 期は気持ちがいい。...
View Article真実のよさこい伝説紀行(7) お馬、流転
≪二度目の捕縛と追放≫ 純信とお馬は土佐城下に護送されると、純信は山田橋番所獄舎、お馬は後に武市瑞山も投獄されることになる、南会所内獄舎へ投獄された。 四ヶ月後の安政2年9月27日、二人に判決が下されるのだが、町奉行の松岡毅軒(きけん=山内容堂公の侍読でもある)とお馬のやり取りが伝わっている。...
View Article「四国最大の滝」が入れ替わる?!
≪落差150mの滝が四国に存在するのか≫ 最近ある徳島県関係の文献で落差150mの滝の記述を見つけた。前にも投稿したように、これまで四国最大の滝と言われていたのは、石鎚山系・高瀑渓谷に懸かる高瀑(132m)だった。それを上回るということは「四国最大の滝」が塗り替えられることになる。...
View Article真実のよさこい伝説紀行(8)お馬の第二の人生
≪お馬、自分が主人公の芝居を観る≫ 池ノ内の土居家には連日、お馬見たさに大勢の者が押し掛けたという。そんな土居家をよく訪れる若い男がいた。土居家の屋敷の修繕をしていた大工の寺崎米之助である。彼はお馬より9歳年上だったが、お馬を好奇の目で見るようなことはせず、普通の女性と変わらず接していた。二人が惹かれあうのに時間はかからなかった。 翌年、二人は結婚した。住まいは同じ...
View Article真実のよさこい伝説紀行(9・完・前編)純信の第二の人生
≪坂本龍馬の師が純信の恋文を隠蔽≫ 二度に亘って国外追放された純信は、土佐北街道の終点から讃岐街道を歩いて、四国中央市川之江町塩谷へ至った。そして地区の世話役(記録には「顔役」とある)娚岩こと、川村亀吉を頼った。亀吉は若い頃、大阪で相撲を取っていたが、30歳時、足を怪我して相撲をやめ、帰郷。以後、その人となりで子分も大勢でき、侠客的顔役として知られていた。 純信はここで「岡本要」と名乗ってい...
View Article真実のよさこい伝説紀行(9・完・後編)
アメブロのシステム上、一度に投稿できなかったので、前編の史跡ガイドを投稿します。 ※純信菩提寺と慶全の寺がぬかっていたので、7/7夕方、追加投稿致しました。 [史跡ガイド] ① 純信寺子屋跡純信堂(四国中央市川之江町塩谷) 寺子屋跡の上に昭和35年、純信の霊位を安置した純信堂が建立された。側に一里塚跡碑や娚岩の墓がある。高津紙器社の国道11号を挟んだ東側。 ② 井川家(川之江町農人町1564番地)...
View Article坂本龍馬の珊瑚像は今
2011年3月より翌年3月まで、JR高知駅前の観光情報発信館「とさてらす」に展示されていた、珊瑚で作った龍馬像を覚えているだろうか。正式名は「珊瑚抹龍馬像・暁翔」。縦横1メートルの胸像だが、言われないと珊瑚でできているとは到底思えない。...
View Articleももへの手紙&旅の贈りもの・関連地回遊(3)
≪「ちょろちょろ」とおいらん坂を上る≫ まち歩き絵図案内板があった寺本家住宅の地も昔は、おちょろ(娼妓のことで通称「沖芸者」)の置屋だった。 案内板から西の道へ入れば、すぐT字路に突き当たるが、その突き当たったH川宅と小径を挟んだ北の空き家の地はかつて、ちょろ押し小屋だった。...
View Articleももへの手紙&旅の贈りもの・関連地回遊(4)
≪遊郭跡で見えない「何か」に襲われる?≫ 満舟寺については他に「旅の贈りもの」で、下から二段目の石段に徳永英明が立って、櫻井淳子に「案内してあげようか」と声をかけていた。 寺の石垣はこの島には似つかわしくない、何メートルもの高さの城壁を彷彿させるもので、郷土書等では、豊臣秀吉の四国平定時、毛利軍が前線基地として城を築いたとする説を挙げている。...
View Article坂本龍馬の久万街道調査開始
≪越知町と旧仁淀村が初代脱藩の道≫ 坂本龍馬が久万高原町の旅籠・板屋へ行く際、通った久万街道は、越知町や旧仁淀村(現、仁淀川町)では、昔から龍馬の脱藩の道であると言われていたことが、各地域民や郷土史家からの聞き取りで分かった。...
View Articleももへの手紙&旅の贈りもの・関連地回遊(5)
≪殺されたカムロの怨念≫ 若胡子屋の二階は、遊女たちの支度部屋だった。化粧やお歯黒を塗る所である。その日、花魁の八重紫はいつものように鏡の前に座り、カムロが差し出したお歯黒壺でお歯黒を塗っていた。が、なぜかその日に限ってうまく塗れなかった。そこでカムロに壺を取り替えるよう指示したのだが、何度取り替えても全く思うように塗ることができなかった。...
View Article盆期間の探訪成果(龍馬と伊予の武将の関係等)
≪坂本龍馬滞在・金子一族先祖と閻魔王像≫ 今年の盆期間は、毎日日帰りで主に二ヶ所の市町に出向いて、慶応三年、坂本龍馬が滞在した大崎下島の金子家の一族先祖で、秀吉の四国平定時、最も活躍した悲劇の戦国武将関連史跡や、十王像を探訪・見学した。 8/14・天正の陣の城跡...
View Article最強の冷感マットと換気・送風扇
≪エアコンマットが進化していた≫ 三年前、紹介した「エアコンマットそよ」が今年、値段は殆ど変らず、冷感ジェルとアロマオイル取付カートリッジが付いて進化「エアコンマットそよそよ」として発売されていることが分かった。...
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