<一基は整備されて保存されたが>
2007年に発行した自著「四国の戦争遺跡ハイキング」で取り上げた愛媛県松山市にある松山海軍航空基地跡の三基の掩体(航空機格納壕)を、先日約16年半ぶりに再訪してみると、皆、様変わりしていた。
いい意味で変わったのは、民家の車庫として利用されていた掩体で、地権者が土地を自治体に寄付したことにより、敷地の民家が撤去され、平成30年、掩体が文化財指定され、見学し易いように整備された。
唯一当時、内部に入ることのできた掩体は2010年頃、扉と壁が設置されたことにより、内部への立入りが不可となり、その後、上面全体にトタンがかぶせられてしまった。更に周辺の土地が松山外環状線の延伸工事の影響で宅地化され、住宅密集地となってしまった。
残る農作業倉庫として利用されていた掩体は、周囲が藪の密林と化していた。掩体の基礎のみ残る場所の現況は確認していない。因みに自著記載の図示の説明では、「農作業倉庫の掩体」と「車庫となった掩体」が逆になってしまっていたことを、お詫びしたい。
整備された掩体を仮に「堂之元橋掩体」と呼びたいが、車は北東の県道18号沿いにあるスーパー「瀬戸内海響マルシェ」の駐車場を使用するようになっている。営業時間は9~19時だが、時間外に駐車場が施錠されるか否かは未確認。
自治体サイトで案内されている探訪コースは、マルシェの北西角の交差点から一つ西の交差点まで行き、外環状線の工事によって付け替えられた新県道22号の西側の歩道を200数十メートル南下すると、眼下に掩体が現われる。幅23メートル、奥行き12.2メートル、高さ5.1メートルの規模を誇る。
掩体内部は、中央部の中ほどまでは立ち入ることができ、内壁の保護ガラスの中に「極天隊」や「四〇一」という文字を見ることができる。これは昭和20年2月に松山海軍航空基地に於いて、第三四三航空隊(剣部隊)に編入された戦闘第四〇一飛行隊(極天隊)の当時の隊員が記したもの。
因みに現在、漫画雑誌「イブニング」に於いて、第三四三航空隊の活躍を描いた「紫電改343」が連載中(もしかしたら終了しているかも)故、漫画ファンならずとも、航空隊ファンや紫電改ファンも聖地巡礼をされたし。
掩体から県道を100メートルほど南下し、かつて交差点だった三差路(今でも十字路だったかも)を西に折れる。そしてグリーンフィールやSKYハイツから100メートル前後行った所の三差路(段違い十字路)を南に折れる。
この道のどこかから、東に入る私道を2006年時、進んで農作業倉庫に利用されていた掩体の正面に出た記憶があるが、先日は日没後の探訪で記憶も定かではなかったので、正面に出ることはできなかった。裏側の駐車場の藪をかき分け、辛うじて後部の写真を撮ったのみ。
更にまた記憶が不確かだが、先ほどの三差路から一つ西のT字路の西角の広場(多分、現在民家に)に、前述の基礎のみが残る掩体があったように思う。広場の北東隅と南側にコンクリート構造物があった。
そこからはSKYハイツまで戻り、西沿いの道を南下する。東西に走る道に突き当たると東に折れる。すぐ角にファミリーマートがある県道22号の交差点跡の三差路に出るが、そのファミマの県道を挟んだ向かい奥にトタンが被せられた掩体がある。
外環状線の長期工事でなかなか向かいに渡ることはできないが、横断できる道を探して渡って戴きたい。そしてファミマのある三差路の向かいはどこにあたるかを探し、そこの三差路(元十字路交差点)から南に最初に現われるT字路を東に折れる。するとほどなく右手にトタン掩体が現れる。
皆さんも掩体を見学し、第三四三航空隊や戦闘第四〇一飛行隊の活躍に思いを馳せて戴きたい。
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