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Channel: 次世代に遺したい自然や史跡
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日本一のパワースポット・三輪山の虚実(4・完)

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≪昭和3年、三輪山が初めて調査された≫

禁足地、三輪山が初めて考古学的に調査されたのは昭和3723日と24日。これは全くの偶然のことであり、その年の春、考古学に興味を持つある学生が勝手に入山したことが問題となり、内務省神社局が、今後このようなことが起こらないためにも、考古学の専門家に山の調査を依頼したのである。以降の記述は、その時のレポートによる。



依頼された考古学者は前日から潔斎し、当日は宮司と案内者との三人が修祓を行い、入山した。

100mほどで茶臼谷に到る。この谷の側には平地があり、そこからは藩政期より勾玉や石刀、須恵器等が出土しており、一部のものは大神神社に所蔵されている。



この北方のピークに辺津磐座がある。当シリーズ(1)に貼り付けた写真がそれである。

更にそこから山頂にかけて、中津磐座、奥津磐座が一直線上に並んでいる。



山頂からは西に下るとオオカミ谷、地獄谷自然、戦跡、ときどき龍馬-大神神社北方の磐座神社 、大谷伝宝寺谷等があるが、いずれも人為的に配置されたような巨石や立岩、環状列石がある。当然の如く、古代の信仰跡である。



明治以降も三輪山周辺から数多くの出土品が出たが、後にそれらの年代は3世紀から8世紀のものとされた。それを特定した考古学者は、前述の学生だった人物である。



また、昭和後期以降、三輪山について、幾何学的アプローチを取る研究家も多数現れた。その多くが三輪山を太陽信仰のメッカとする説である。



例えば、三輪山頂を正三角形の頂点とした場合、底辺の右角は神武天皇陵となり、左角は石見鏡作神社となって、一辺8.6kmの巨大な三角形が現れる。

底辺の中心には多神社があり、そこから三輪山頂へ線を引くと、寸分の狂いもない直線となる。



その線は東西線であり、鏡作神社と神武帝陵を結ぶ線は南北線である。これを太陽信仰の観点から見ると、春分と秋分の日に多神社の地に立つと、朝陽が三輪山頂から昇ることになる


夏至には神武帝陵、冬至には鏡作神社の地に立つと、三輪山頂から太陽が昇るように見えるのである。三輪山中に点在する古代信仰遺跡も全て、太陽信仰に纏わるものとするのである。



更に三輪山を超古代の日本ピラミッド(エジプト等のピラミッドの原形とされる)の一つとする説や、大物主神を宇宙人とする説まである。

つまり、それだけ三輪山は先史から今日に至るまで、神秘的で人々を惹き付ける「何か」が「存在する」ということである。



その「存在」が何であるのかは、是非、実際に三輪山に入山し、己の目で確かめて戴きたい。

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