魚梁瀬森林鉄道の本線(奈半利川線と安田川線)は高知県一有名な鉄道廃線跡だが、安田川線の田野町住宅街の区間の廃線跡は、JTBその他の廃線本にも殆ど触れられていない。廃線跡の比定は容易いのになぜ大手出版社がそれをしないのか、疑問に思うが、車道化されずに小径のまま残っている区間もあり、歩いていて面白い。
そこで今回、往路は廃線跡を辿り、復路は海岸沿いの堤防の小径を歩く回遊コースを設定した。復路では季節によってダルマ夕日を見られることもあり、景観的にも優れている。
尚、当廃線跡は国の文化財に指定される等、あまりにも有名過ぎるため、鉄道の歴史等の解説は省略する。
探訪の起点は、船への木材の積み込みを
行っていた、田野海岸の桟橋跡になる。これはJTBの「新鉄道廃線跡を歩く」にも記載されているから、ご存知の方も多いだろう。
車でのアプローチはまず、田野町役場北方の角に田野病院がある交差点を南に折れる。南方の歩道が交わる四差路に突き当たると、東に折れる。
この道路が東向きから北東に向きを変える地点のカーブの、歩道が交差する四差路は南東に折れる。すぐ現れる私道が交差する十字路は南に折れる。後は適当な
箇所に駐車する。
南下する道路は田野海岸の堤防をトンネルで突き抜けている。浜に出ると、南東方向に廃線跡の桟橋の橋脚群が見えている。
根元が何割か浜に埋まったその様は廃墟感が出ていて雰囲気的にいい。橋脚は海中まで続いている。
尚、木材の貨物船への積み込みは桟橋から直接行うのではなく、桟橋の突端から木材を海へ投げ入れ、それを回収して船へと積み込んでいた。
戦前の地形図を見ると、この桟橋のやや
西方にももう一つ、桟橋が描かれているが、これは旅客専用のものか、木材以外のものを積み込むためのものか定かではない。こちらの橋脚は浜側には残っていないが、海中には辛うじて残骸が存在している。
桟橋から少しの間、軌道跡は消滅しているが、そのルートは、土佐銘木センター倉庫の東を北に進み、車道に出る と西に曲がる。この車道が軌道跡。
銅像が建つグランドに突き当たると、軌道は二方向に分かれていた。一方はさ
きほど来た、南北に走る道路、もう一方はグランドの南寄りを西進していた。後者はグランドやテニスコート、高知県東部木材加工社の敷地になって歩けないので、北上する軌道跡道路を進む。
さきほど車で南に折れた十字路は、北の私道が軌道跡。が、コンクリート道はす
ぐ途切れ、丈丈川に突き当たる。橋梁 の橋脚や橋台は既にない。この川に突き当たった箇所で軌道はまた二方向に分かれていた。一方は川を渡った後、北岸を西進し、もう一方は南西に進み、東部木材加工社の西で、グラン
ドを西進する軌道に合流していた。
十字路まで引き返すと、西に折れ、変形四差路を南西に折れる。この道は舗装歩道だが、この南沿いの民家や倉庫、畑が軌道跡である。
歩道がカーブを描いて南西から西向きに変わる地点の四差路は南に折れる。数軒先の十字路は西に折れるが、この十字路の北東角の民家と、その西向かいの新町集会所の東端が軌道跡。そこからは軌道跡は西進する車道に重なる。
この車道が堤防に接する辺りで、グランドから西進してきた軌道と合流していた。
次回、いよいよ歩道のまま残る軌道跡が現れる。
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