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世界最大巨石文明圏の山で超古代列石を発見

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[一千トン級巨石遺構から続く巨石帯]

土佐清水市の足摺半島は以前も触れたように(ミシュラン&見知ラン観光ガイド(8)世界最大の巨石文明圏編)、超古代巨石文明遺構が250ヶ所以上も存在する、世界最大規模の巨石文明圏。

 

これは足摺半島が、「古代の世界海道」(超古代の海路)とも言える黒潮が日本で最初に接岸する地であることも影響しているだろう。

 

この巨石遺構群の中に「灘の大岩」がある。足摺パシフィックホテルの南東、バス停「大岩」の箇所にある高さが十数メートルもある巨岩で、一見すると自然の岩のように見える。

が、唐人駄場探索協会の調査によると、山側底部は平たい台座岩の上に設置することで安定を保っており、台座岩の奥は空洞になっている。

この空洞部では昭和期の夏場、小中学生が涼んでいたという。

 

この大岩は以前解説した奈良県の益田岩船を上回るほどの大きさなので、単独の巨石遺構としては西日本最大級ではないだろうか。縄文時代以前、一千トンクラスの巨石を移動させる土木技術が足摺にあったことになる。

 

探索協会の調査成果文献では、大岩上方の「日和見の岩」について簡単に触れられていたが、そこから山頂までの巨石群についての記載はなかった(市教委の調査報告書の方は未確認)

大岩から背後の森に上る山道は昭和中期頃までは利用されていたようだが、現在はほぼ廃道状態。しかしヤブはないので、簡単に登ることができる。

 

大岩から背後にも巨石や大石が続いているが、恐らく天辺が平らになっている岩が日和見の岩だろう。

それからすぐ立岩が現れたと思うが、ペトログラフ(岩刻文様)が刻まれているように見える。

 

その上だったと思うが、この森最大の組石にも見える巨石が姿を現す。進行方向では分からないが、斜面に下りてみると、藩政期のノミらしき跡が複数ついており、下部が割られている。その手前の地面から少し出ている石も、斜面に下りて見てみると、やはり垂直方向に割られていた。ここは石切場だったのだ。しかし市史には記述がない。

 

そこを過ぎ、石の大きさが次第に小さくなってくると、幅広尾根の端の根岩に繋げる形で列石が築かれていた。100キロをはるかに超える石もあることから、これは猪囲い(ししがこい)ではなく、超古代の列石だろう。

 

中には短く切った千歳飴のような、丸く加工した石もある。

比較的小さな石で積んだ石積みもあれば、平らな石を一個ずつ並べた箇所もあり、石の大きさや形状、積み方はまちまち。

この列石の内側、つまり尾根上の神聖なる巨石帯の境界を示すものだろう。

 

唐人駄場の丘の中には積んだ巨石群が崩れたような箇所が複数あるが、この巨石帯も太古は何がしかの法則によって整然と積まれていたのだろうか。

 

尾根が稜線の起点に達すると大石や巨石はなくなる。稜線の幅は更に広くなり、西側には段畑の石積みがある。

 

一応山頂まで登ってみたが、そこには機銃陣地跡のような、直径3メートル弱の擂鉢状穴が東西に二基、連なっていた。形状的にはゴレンジャーのアカレンジャーの「目」のようで、二基の擂鉢状穴が短い塹壕のようなもので繋がっている。

北方の山中には陸軍の電波警戒(「レーダー」の陸軍用語)関連の陣地跡が点在していることから、この遺構もその関連かも知れない。

 

足摺岬中学校南西の堂ヶ森(144m)にも巨石群があり、近年、「探偵ナイトスクープ」では足摺スカイライン沿いの巨大な陽石について取り上げていたが、市は観光コースとして「足摺巨石ロード」を整備すれば如何だろうか。

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