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Channel: 次世代に遺したい自然や史跡
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江甫草山防空監視哨跡(観音寺市)

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寛永通宝の銭形砂絵で有名な有明浜の北側に、中世の城「九十九山城」跡を擁す江甫草山(つくもやま・153.1m)がある。燧灘に面した九十九崎から立ち上がる独立峰で、三方が断崖となった天然の要害。

 

城の築城記録は詳らかではないが、1400年代、細川氏が居城としており、天正6(1578)暮ないし翌年初頭頃の長宗我部元親の讃岐侵攻時に落城している。

城跡の遺構は7合目から山頂にかけてと、山頂西側にあり、登山道の両側の段状郭、二ノ段から下の郭の石垣、犬走り、井戸跡等が辛うじて残存している。

 

この山に戦時中、防空監視哨が設けられていたが、遺構があるのは7合目(合目看板あり)で、西条(九十九山城の城下町)からの登山道と有明浜からの登山道が合流する箇所の、西条側の道の真ん中に哨舎のコンクリート基礎らしきものがあり、その斜め下に歩哨用蛸壺壕跡のような擂鉢状窪みがある。

 

哨舎が道に建ったことで西条からの登山道が利用できなくなるので、斜面を掘り切って道を付け替えた跡がある。

普通、哨舎は山頂に建設するが、戦前は高木がなく、敵機から発見され易かったのかも知れない。尤もこれが哨舎ではなく、蓄電池等発電施設跡である可能性も否めない。

 

西条の羅漢寺蓮光院から始まる登山道はミニ四国霊場参拝道でもあるが、急斜面を大きくジグザグを繰り返しながら登る。

7合目で進路は南東から西向きに変わり、そこの角に石垣が残っている。

 

そこから南に入ると、西側に深い塹壕を伴った横穴壕が残っている。各種物資保管壕か。内部の奥の北側には小さな掘り込みがある。特に貴重なものを置いていたのかも知れない。

 

7合目から山頂までは道の両側に郭が続くが、道の南側の郭の中には、いくつもの散石が転がっているものがある。そこの斜面から石垣に使用する石を切り出していたのかも知れない。

 

山頂の詰の段は広く、山頂標識も建っているが、詰の段入口右手には井戸跡と思しきものがある。直径3m前後、深さ1m少々の擂鉢状穴で、中心に自然石が置かれており、周囲を石で囲んでいる。古文献にある「井あり、石の蓋を覆へり」という記述にも合致する。

戦時中はこれを聴音壕に利用していた可能性がある。真ん中の自然石に耳を当て、敵機の音を聴いていたのかも知れない。

 

山頂から西方にも郭が数段続いており、踏み跡の終点の断崖が簡易展望所として整備されている。

有明浜や琴弾山が望まれるが、銭形砂絵は残念ながら松林に隠れて拝めない。この展望は整備された当初からは悪くなっている。

 

尚、登山口にある蓮光院には「登山者用駐車場」や「登山者用トイレ」が設置されているので有難い。室町バス停より徒歩3分ほど。

 

下山後は琴弾公園に移動して、琴弾山や源義経ゆかりの神社、四国霊場、砂絵等を巡ったが、遊歩道ばかりを辿ったのでは面白くないため、一部、廃道状態の道や水路管理道を歩いた。

 

そのコースは、琴弾公園から九十九曲道を登って琴弾山の天狗山展望台に上がり、そこから象ヶ鼻岩と銭形展望台へは、途中からドライブウェイを離れて尾根を直登した。

砂絵を望見してからは琴弾八幡宮へ参拝。社殿から石段を下って義経が奉納した「木乃鳥居」を見てから若干引き返し、北側の支柱に「威烈輝千載」と刻字された石造の結界門から北の歩道に入る。

 

産巣日(むすび)神社左横からは、ヤブ化した道を避けて斜面を迂回、ヤブがなくなった地点で道に下り、69番札所・観音寺の巍々園の池に注ぎ込む沢上流の谷(古い石積みの砂防堰堤あり)を迂回し、水路管理道を北上後、道なき急斜面を下って、心経殿と薬師堂の間に下り立った。

 

それから観音寺のミニ西国霊場参拝道の途中から歩道を上がってドライブウェイに再び出、観音寺中学校前に下りると南西に進み、途中から松林内に入って銭形砂絵を半周し、有明浜海水浴場横の舗装歩道に出て南下後、砂絵南沿いを東進して琴弾公園駐車場へと戻った。

 

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