[9年後に救ってくれたのもセーラームーン]
高知に帰ってからは、山間部のことを登山だけでなく、その生活等も知ろうと農林業にも携わり、第一作目の郷土ガイド書である無名峰登山ガイド書を出版以降、仁淀川町に移住したが、’02年、仕事(高知市での)のことが原因で精神的に登山を行う気力がなくなってしまった。
一方、同年、「詩のボクシング」(対戦式の朗読会)高知予選会(全国大会は東京)に出場したことがきっかけで、同じ出場者である女性に誘われ、彼女がメンバーとなっていた朗読ライブ集団に入り、リーダー的役割をし、後にメジャーCDデビューを果たすことになる矢野絢子氏が運営していたライブハウスで活動する等していた。また、松山市や徳島市での朗読会に単独で参加したこともあった。
‘03年になると高知の老舗劇団に入り、県民文化ホールや各自治体施設で公演(歌や踊りもあり)を行い、テレビCMにも出演。翌年には健常者と障害者との音楽の祭典「わたぼうし高知コンサート」(展開本部は奈良県)の作品(歌詞)選考委員になった他、佐川町の児童施設で童謡の振付指導も行う等、文化活動にどっぷりとはまっていた。
そんな経験があるから、最近のプリキュアショーを見ると30代の頃を思い出す。ただ、あんな激しいダンス(エンディングテーマの)はしなかったが。
他方、休日の楽しみと言えば、四国各地の民族音楽等のコンサートを聴きに行くことだった。しかしどこか心が満たされない思いがあった。
そんな折、始まったのが実写版セーラームーンの放送だった。ここでまたオタク病発症。今度も惹きつけられたのは主人公の月野うさぎ。北川景子等、五人の戦士役は皆当時、高校生だったと思うが、うさぎ役の沢井美優は私からすれば、ルックス、性格、歌の上手さ等、一番だった。
満たされない思いを再び、セーラームーンによって満たすことができたのだ。再び部屋中、セーラームーンのポスターだらけとなった。
レアなCDの収集も行い、以前触れた番組内で映った愛野美奈子のCDアルバム(ミニアルバム)が含まれたCDボックスも購入した。
もしこのセーラームーンの放送が終了する’04年、プリキュアが高知でも放送されていたら、そちらの方にも惹きつけられた可能性はあるが、初期のプリキュアのアニメ製作にはドラゴンボールの製作スタッフが携わっていたこともあり、今のシリーズとは系統が違うため、それは分からない。
ムーンの放送が終了してから三ヶ月後、初めて街道踏査に乗り出した。それは徳島県内の義経街道。源義経が平家打倒のため、小松島市に上陸してから県境の旧大坂峠へと進軍したルートだ。各種文献調査や現地での聞き取り等を行う内、オタク病は治癒していった。
無名峰ルート開拓登山以外のことを行うようになってから、興味の幅が広がり、戦争遺跡や鉄道廃線跡、無名景勝地の探訪も行うようになり、’06年、郷土ガイド書の出版を再開することになるのである。が、この時、再度オタク病が発症するようになることは知る由もない。
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