Quantcast
Channel: 次世代に遺したい自然や史跡
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1077

佐田岬半島の陸軍豊予要塞(5)竪穴と横穴の地下壕

$
0
0

[地下弾薬庫竪穴と探照灯格納壕]

岬の遊歩道の左に分かれる複数の小径の先には砲床以外に、地面に開いた四角い竪穴もある。誤って落下しないよう、各竪穴横には立石が立てられている。これが前回と前々回触れた地下弾薬庫に通じる砲弾揚げ降ろし穴である。かつては各穴に鉄の扉が付けられていたが、朝鮮戦争時、鉄の需要が増えたため、取り外された。

 

弾磨き所で磨いた砲弾をここまで運搬してきて、揚弾機で地下に下ろしていた。竪穴は約1.2m四方で深さは3.5m。かつては内壁に梯子が設置されていた。穴には水が溜まっているため、底部の様子を伺うことはできないが、3.5m下からは馬蹄型の隧道となり、奥にガラス戸付きの六畳ほどの保管庫があった。

 

第一砲台の四門の砲座を過ぎると岬の遊歩道は大きく雷状に下るようになるが、’08年時はこの箇所の斜面に、遊歩道を串刺しする形で撤去した第一砲台の大砲の砲身を引きずり下ろした跡が付いていた。鹿児島の高崎砲台へと運搬する際である。

大砲は佐田岬灯台キャンプ場跡北側の浜に下ろされ、そこの桟橋から艦艇に揚げられた。

 

そこのキャンプ場跡が豊予要塞を守備していた重砲兵第18連隊佐田岬方面隊の司令本部跡で、医務室や烹炊所もあった。かつてバンガローがあった地の広場に蓋をされた井戸、東のヤブの中には水槽が残っている。

 

売店や管理人室は発電室壕等の三本のコンクリート横穴壕を使用していた。それらの入口付近の外壁はキャンプ場開設時、淡いピンクに塗られたが、それまでは第二砲台の砲側庫同様、迷彩色だった。

 

岬の遊歩道はキャンプ場跡上を過ぎると再び上り坂になり、椿山(60m)手前で三差路になる。ここは左折して椿山山頂の展望台を目指すが、山頂直下を周回するコンクリート歩道は移動式探照灯の台車道跡である。

 

複数の戦跡の調査報告書や資料には台車による移動ではなく、レールを敷設して移動していた旨の記述が見られるが、地元民は台車による移動だった旨、語っている。以前紹介した広島県・とびしま海道の海軍の探照灯も移動はレールのトロッコではなく、台車である。

 

探照灯自体の直径は1.5mだったが、その台車道沿いには高さ4m近くにもなるコンクリート造りの探照灯格納壕と、小さな二基の炭素棒保管庫がある。炭素棒は探照灯のフィラメントの役割を果たすもの。寿命が数十分ほどだったことから、一定量が保管されており、かつては扉が付いていた。

 

この炭素棒保管庫のようなものは、土佐市の白ノ鼻の灯台の西の谷にも残っている。ネットではこれを壕として記していた者もいたが、ここに軍の基地があったという記録はない。

因みに記事添付の戦時中の探照灯の古写真は当方が所蔵するものだが、豊予要塞とは無関係の外地での写真。

次回いよいよ洞窟式砲台壕へ入る(と思う)

早くこのシリーズを完結させてほしい、という方は次の二つのバナーをプリーズクリック。

人気ブログランキング


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1077