Quantcast
Channel: 次世代に遺したい自然や史跡
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1077

ミステリアス鳥居~四国と福岡の不思議な鳥居たち~

$
0
0

<半壊の鳥居やハート型扁額の鳥居も>

今回は昨日の記事「ミステリアス古墳SP」の姉妹編「ミステリアス鳥居」だが、これはNHKではなく、当方のオリジナル企画。山中、海上、街中に佇む少し不思議な鳥居をご覧あれ。

 

(1)  雲附山石鎚神社(香川県さぬき市)

藩政時代中後期、竹林上人が山中に「間川三十二勝」という名所を造った雲附山(239.6m)の山頂の北西には石鎚神社があり、直下にはヤマザクラが咲き乱れる(4月上旬)。

その神社の南と北東の登山道にはそれぞれ、石造りの鳥居が建っているのだが、後者の鳥居は半壊しており、上部の笠木、島木、貫が外れて道に落下したまま放置されている。

 

普通なら氏子が支柱も撤去するのだが、車道も通じていない山の上、ということもあり、半壊状態のまま建っており、その光景が「美しき廃墟感」を演出している。

無料駐車場(下図)は高松自動車道の三木トンネル東の陸橋を南に渡った所にある。登山道が多いことでも知られる山だが、各尾根を辿るコースは勾配がきついので、谷沿いのコースを推奨する。当方は白羽峠コースを選択したが、「本通り」コースの方が距離は短い。

 

(2)  妙見神社(さぬき市)

昨日の「ミステリアス古墳SP麿’S版」で紹介した富田茶臼山古墳の後円部に妙見神社の祠があり、後円部墳丘の西端と、後円部と前方部との間の裏参道にそれぞれ木造鳥居が建っている。

どちらの鳥居も風化で傾いているのだが、特に前者の傾き加減はひどく、台風でも襲来すると倒壊しそうだが、日光に当たってできる鳥居の影を見ると、真っ直ぐ建っているように映る。それは恰も妙見の神の神威であるかのように。→紹介サイト

(3)  立見山金毘羅鳥居(徳島県美馬市)

この鳥居は過去、当ブログや四国龍馬街道の自著でも取り上げた。坂本龍馬が文久2年2月前半、鎌村熊太邸へ行くため、通り抜けた鳥居でもある。

美馬市の美馬町地区は、金刀比羅宮のある香川県琴平町に比較的近いことから、香川県境尾根を越える金毘羅参詣道が整備されていた。今でも当時の道しるべが残っているのだが、美馬町立見山(たつみやま)地区の農道下には、扁額に「金毘羅大権現」(金刀比羅宮の旧称)と刻字された石造りの鳥居も残っている。

が、支柱の下部は土に埋まっている。これは農道ができて以降、参詣道を通る者が殆どいなくなり、鳥居の下をくぐる参詣道が廃道化してしまったからである。この埋没感も「美しき廃墟感」。

 

(4)  綱掛岩三島明神(愛媛県大洲市)

全国各地の海岸に近い沖合の岩には、鳥居と祠が建っていることがある。大洲市長浜町の沖にある綱掛岩もそんな一つで、「綱掛岩三島明神」の祠と赤い鳥居が建っており、海岸美の点景となっている。

 

天平12年(740)、朝廷は九州の藤原広嗣の乱を鎮圧すべく、大野東人を大将軍に任じ、諸国の兵、1万7千をもってこれにあたらせた。伊予の国主・越智玉澄もこれに加わるべく、船団を率いて九州に向かったのだが、その途次、海が荒れ、櫛生の浜に立ち寄り、滞留した。

その際、船を繋ぎ止めるために艫綱を投げ掛けたのが綱掛岩で、西谷に三嶋大明神の祠を建立し、戦勝祈願をした。広嗣征討後の帰路も立ち寄り、櫛生古宮へ神社を建立した。その後、綱掛岩に勧請、分祀した。

海上の綱掛岩に映える赤い鳥居は印象的だが、特に朝靄時等は幻想的光景になる。→紹介サイト

(5)  恋木神社(福岡県筑後市)

水田天満宮の境内末社に全国で唯一の祭神、恋命を奉る恋木神社がある。菅原道真公が太宰府で生涯を終える迄の妻子を思う御心を慮り、祀られたと伝わる。

「恋の神様」として九州では有名で、「恋参道」や「恋木灯籠」、社殿、御守り等、至る所にハートがあしらわれているのだが、鳥居の扁額もハート型。

更に樹齢600年の「幸福の一位の木」の前にもハートの鳥居があり、その大木の周りを左・右・左と廻ると幸せが訪れると云われている。ミステリアス・ハートで幸せを掴め。→公式サイト

 

各鳥居を巡り、幸せを掴みたい、という方は下のバナーを是非。

にほんブログ村 アウトドアブログ 散歩・散策へ
にほんブログ村


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1077

Trending Articles