魚梁瀬森林鉄道西谷線(4)
[橋梁跡の一枚岩の滝を渡渉] 車で再び宗ノ上川沿いの西谷林道を上流へと遡る。そして左手に「2km」という白い看板が立っている三叉路付近に駐車。この「2km」というのは、西谷林道起点からの距離ではないかと思われる。軌道はこの西谷林道の少々先から右ヘアピンカーブを描いて向きを反転させていた。藪の中に廃線跡が残っている。三叉路(変形四差路とも言える)の又の部分の広場には、軌道...
View Articleお龍、土佐和食(わじき)へ(6)
[砲台跡と植木枝盛に影響された豪商たち]西浜獄舎跡の十字路から南下し、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の高架を抜けた西側のコンクリート壁上に赤岡砲台跡の看板が建っている。幕末が近づくと土佐沖にも黒船が現れるようになり、文政12年(1829)12月14日にも赤岡沖で目撃されている。そこで藩では弘化3年(1846)9月、幕...
View Article魚梁瀬森林鉄道西谷線(5・完)
[橋脚も木造の橋梁] 西谷林道の横断地から北方にやや下ると、西谷11林道(当方が独自ルートを見出した鐘ケ龍森登山口に至る)との分岐手前にゲートが設置されているのが見えると思うが、このゲートは’04年夏の台風が襲来するまでは、地形図に記載されている高善森登山口よりまだ奥にあった。ゲート手前の沢の上流に前回触れた、木造橋梁が残っているのである。それはさておき、横断地先の藪の中に、林...
View Articleお龍、土佐和食(わじき)へ(8)
[近代の一里塚「元標」]西川屋向かいのT字路角の今井歯科医院も、白壁に四段の水切瓦を擁す商家の建物だが、ここは藩政期、廻船業や塩の販売を行っていた山城屋だった。「水切瓦」は土佐独特のものだっ...
View Articleあの日聞いた鈴(りん)の意味を僕はまだ知らない。
彼岸の入りの日、午前6時台に墓参りに行った。早朝に行ったのは、墓参後、香美市の三嶺山系・古敷谷山から口西山を縦走登山するためである。我が家の墓所は車道の通じてない山の上にある。当然ながらそんな早朝、誰一人墓参する者はいなかった。今年5月からこれまで、あまりにも山で大きな怪我や滑落等をするため、山での無事を先祖に祈念したのだが、一通り、皆の墓に手を合わせ終わり、帰り支度を始めていた時、ふと鈴(...
View ArticleS・ウィークの踏査成果:物部の難関峰
シルバー・ウィークは自治会の仕事や体調不良等で、今年のGWと同様、2日しか無名峰に登れなかった。香美市物部町の古敷谷山(1468.7m)から口西山(独標点1574m、図根点標高1572.3m)までの縦走と、源氏ヶ森(1529.1m)である。源氏ヶ森は以前「高知県一の難関峰」と...
View Article屋島登山鉄道廃線跡の絶景
[高度差258mの長大保線路階段]登山鉄道は大別すると、山岳鉄道とケーブルカーに分けられるが、その廃線跡は四国では、平成17年に廃線となった後者の屋島登山鉄道(通称:屋島ケーブル)が有名。ケーブルと言えども、山の斜面には線路が敷かれ、トンネルや保線路もある。通...
View Article今年の石鎚山の紅葉は二週間も早いから急げ!
[見頃は今週末ないし来週前半までか]今年の石鎚山の山頂付近の紅葉は、例年より二週間も早いことが分かった。これは9月に入ってからの冷え込みが続いたことが影響している模様。去年は夏の台風が影響して、紅葉の色づきが悪かったため、期待している登山者も多いと思うが、石鎚紅葉まつり(10月第1日曜日より11月3日...
View Article五郎丸(海陽町)に登頂
[馬路村魚梁瀬からのロング回遊ルート]ラグビー日本代表の一次リーグ敗退が決まったが、まだこの熱気は続く。と、いうことで今日、高知・徳島県境のすぐ近く、海陽町側にある五郎丸(1147.8m)に、高知県馬路村魚梁瀬側から登って来た。この山名を知る徳島県のピークハンター...
View Article海陽町の五郎丸の写真がニュース番組で紹介される
今日の未明、例の五郎丸の登山記録をヤマケイに投稿した(→五郎丸に認定トライ )が、ダメ元で高知さんさんテレビの「FNNビデオPOST」の写真コーナーにも写真を投稿した。登山当日は曇り空で、撮影時も薄暗くなり始めていたので、くっきりした写真は撮れなかったから、ボツになっても仕方ないが。が、投稿後、数十分ほどして、さんさんテレビのアナウンサーから電話があり、今日の夕方のニュース番組で紹...
View Article土佐の投入堂と小日浦鉱山
[TKO木下も驚いた断崖&坑道ワンダーランド]町史に未掲載のある神社が近年、注目されている。越 知町南ノ川小日浦の小日浦川上流の断崖岩窟に建つ聖神社である。その景観が鳥取県の国宝・三徳山三仏寺奥の院・投入堂(なげいれどう)を彷彿させることから「土佐の投入堂」と呼ばれている。標高500m超の絶壁にあるため、神社付近に「道」はなく、丸太を組んだ橋や鎖を伝...
View Article魚梁瀬森林鉄道東川線・前編
[立てかけられた枕木群]魚梁瀬森林鉄道東川線とは、馬路村魚 梁瀬の東川沿いを遡る、東川林道の前身の軌道である。昭和13年、まず雁巻山西麓の雁巻谷までの約17kmが開通し、昭和25年には雁巻山北東の谷まで東川線高面支線として延伸、更に昭和35年、平成19年に残置レールが発見された箇所まで影地山支線が延びた。この影地山支線終点が実質的な東川線の終点となる。昭和32年、高面支線が廃線になった...
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